売春防止法施行を前に苦境に立つ八戸・小中野新地(S32.11.15デーリー東北)

昭和32年11月15日のデーリー東北紙面からは、翌年4月の売春防止法全面施行を前にした八戸・小中野新地の壮絶な混迷が浮かび上がってきます。この記事は青森県側だけの記録に留まらず、地理的・経済的に密接なつながりを持っていた岩手県北の二戸、福岡、一戸、あるいは久慈といった地域の男性たちにとっても、かつてお世話になったかもしれない馴染み深い街が消えゆく瞬間のドキュメントでもあります。いわて昭和史という大きな文脈において、八戸の赤線地帯は岩手県北の住人にとっても重要な生活圏・社交圏の一部でした。

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紙面の中で最も大きく扱われているのは、旅館への転業を目指していた業者たちが県公安委員会から突きつけられた非情な現実です。当局が提示した不許可の論理は、驚くほど徹底したものでした。まず第一に、小中野は温泉地でも観光地でもないという立地上の否定がなされました。次に、場所柄や客層から見て転業後も売春が継続される疑いが極めて濃厚であると断じられました。さらに、約60人もの従業婦がそのまま残る可能性が指摘され、看板を掛け替えるだけの実態のない転業を厳しく警戒しています。そして最後に、もしここで一件でも安易な許可を出してしまえば、他の業者へも連鎖的に影響を及ぼし、法規制の根幹が揺らぐという波及効果を阻止する姿勢が明確に示されました。

これに対して業者側は、これでは転業計画がすべてオジャンであり、多額の借金も返済できず路頭に迷うと悲痛な訴えを漏らしています。当時の誠意ある転業への願いが当局に無視された形となり、小中野の街全体に絶望感が漂っていたことが当時の筆致から伝わります。
こうした時代の荒波を真正面から受け、不許可の壁を乗り越えて旅館へと転生し、後世まで唯一その姿を留め続けたのが小中野の象徴である新むつ旅館でした。明治の遊郭建築の粋を伝えるその建物は、岩手や青森の男たちが集った記憶を繋ぎ止める貴重な存在でした。しかし、2026年現在の視点で振り返れば、その歴史もまた一つの大きな節目を迎えました

2021年ごろ、長年宿を守り続けてきた最後の女将が逝去されたことで、ついに旅館としての営業に幕を下ろしたのです。昭和32年の新聞が伝えた苦闘を生き抜き、半世紀以上にわたって街の記憶を紡いできた場所が、ついにその役割を終えました。この記事は、かつての八戸と岩手の境界を越えた濃密な人間模様と、時代の転換点に立たされた人々の切実な人生が交錯した、消えゆく時代の最後の残照を記録しています。


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