新しく完成する公会堂に「公会堂多賀」オープン(S2.6.25岩手日報)

昭和2年6月25日の岩手日報に掲載された広告には、当時の盛岡におけるモダンな息吹が鮮やかに記録されています。

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この日、岩手県公会堂の新築落成に合わせて開店したのが、公会堂多賀の洋食部でした。広告の紙面を飾る「お馴染みの夕顔瀬多賀が公会堂に」という一文は、当時の市民にとって、すでに夕顔瀬橋のたもとで親しまれていた名店が、最新の西洋建築という新たな舞台へ進出することを告げる象徴的な言葉でした。

この多賀という名前のルーツを辿ると、明治5年に創業した大清水多賀という老舗料亭に行き着きます。北上川のほとりでうなぎや川魚料理を看板に掲げ、盛岡を代表する高級料亭として確固たる地位を築いていた多賀が、夕顔瀬の店舗を経て、昭和という新しい時代の幕開けとともに挑戦したのが、この公会堂での洋食事業でした。和の伝統と川の恵みを守り続けてきた名門が、フランス料理や1杯のコーヒー、そして当時最先端の娯楽であったビリヤード場を備えたハイカラな空間をプロデュースしたのです。

広告に描かれた挿絵もまた、その革新性を物語っています。タキシードを纏い、仮面を手に微笑む男性のイラストは、大正デモクラシーから昭和モダンへと移り変わる時代の華やかさを象徴しており、単なる飲食店を超えた社交場としての期待を感じさせます。午前11時から午後10時まで、年中無休で営業するという姿勢からも、公会堂を訪れる多くの人々を迎え入れようとする意欲が伝わってきます。

その後、公会堂多賀は昭和天皇や新渡戸稲造といった著名人も訪れるほどの名店となり、盛岡の食文化における西洋料理の代名詞となりました。夕顔瀬の川魚料理から始まった多賀の歴史は、この昭和2年の公会堂進出によって、和と洋、伝統と革新が交差する新たな局面を迎えたと言えます。残念ながら公会堂多賀は平成29年に90年の歴史に幕を閉じましたが、この古い新聞広告は、盛岡の街がかつて経験した高揚感と、時代の最先端を走った名店の誇りを今に伝えています。


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