凶作の実情を政府に陳情しよう(S9.10.2岩手日報)
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【歴史の断片】昭和9年、岩手の叫び――「冷害を注視せよ」上京陳情にかけた農村の命運
今回ご紹介するのは、昭和9年(1934年)10月2日付の「岩手日報」夕刊の一面です。そこには、今の私たちには想像も絶するような、切実な見出しが躍っていました。
■「冷害を注視せよ」――崖っぷちに立たされた岩手県

紙面の中心に鎮座する大きな見出しには、こう記されています。
冷害を注視せよと 上京陳情に決す
縣町村長會と縣議相應じてけふ對策を協議
昭和9年、東北地方は未曾有の冷害に見舞われました。稲は実らず、農村はまさに「壊滅」の危機。これに対し、岩手県内の町村長や県議会議員たちが集まり、中央政府に対して直接窮状を訴える「上京陳情」を行うことを決めた、という緊迫のニュースです。
■記事から読み取れる生々しい窮状
紙面を詳しく紐解くと、当時の具体的な動きが見えてきます。
- 異例の協議: 10月1日午後1時から公会堂で開催された「町村長会」臨時総会には、県内各地から町村長が集結。午前10時からの県議会各派との協議を経て、一丸となって国へ働きかけることが決議されました。
- 陳情の4大要点:
- 凶作地における政府米の払い下げ。
- 町村施設の維持に対する救済法の適用、および補助金の交付。
- 岩手県における土地賃貸価格の修正(税負担の軽減)。
- 小商工業者に対する救済融資。
- 「けふ(今日)」出発する決意: 記事後半には、10月3日午後6時25分盛岡発の列車で、代表者がすぐさま上京することが記されています。一刻の猶予も許されないスピード感です。
■昭和東北大凶作という悲劇の背景
この昭和9年の凶作は、単なる食糧不足に留まりませんでした。あまりの困窮に「娘身売り」や「欠食児童」が深刻な社会問題となり、東北の農村は地獄絵図のような状況だったといいます。
この日報の記事にある「上京陳情」は、単なる要望活動ではなく、郷土と家族の命を守るための、文字通り「命がけの直訴」だったのです。
■紙面から感じる「地域の結束」
注目すべきは、掲載されている写真です。薄暗い会場(当時の岩手県公会堂)に、詰め襟や背広姿の男たちがひしめき合っています。その背中からは、故郷の惨状を背負い、なんとかして国を動かそうとする悲壮な覚悟が伝わってきます。
また、同じ紙面には「秩父宮殿下」のニュースや「在満州議会」といった文字も見え、戦時色を強めていく当時の複雑な時代背景も同時に読み取ることができます。
結びに
私たちが今日、当たり前にお米を食べられる背景には、かつてこのような困難に立ち向かい、泥をすすってでも郷土を守ろうとした先人たちの闘いがあったことを忘れてはなりません。
一枚の古い新聞記事は、歴史の教科書に書かれた言葉に、生々しい人間の体温を吹き込んでくれます。
※資料出典:昭和9年(1934年)10月2日 岩手日報夕刊
