a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1937 松尾鉱山の文盲鉱夫と盛岡の悪い女 盛岡区裁判所で行われた裁判より。 山形県の山中で生まれ、あまりに僻地であることから3か月しか学校へ行かずに字が読めず、九州の炭鉱などで鉱夫として働いていた。 生母と生き別れになっていたが、その生母が盛岡にいることが分かり盛岡へ行き、松尾鉱山で働くようになった。 ところが鉱夫仲間の時計を盗んで盛岡市内… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 5月 1937 明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・ 明治神宮は明治天皇を祭る畏き神域。 その明治神宮で賽銭泥棒という大それた不敬をしでかした30歳の男は、岩手県のどこだかの街の出身だった。 郷里に住むその男の父親だけでなく、その町の町長までが東京に出て明治神宮でお詫び行脚である。 明治神宮の神域で不敬を働くということは、それほどの大それたことであった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 5月 1937 本日不在事件(昭和12年5月16日) 「ガールズちゃんねる」に、心霊スポット関係のスレッドがある。 そこに、盛岡出身と思しき方の書き込みがあった。 北夕顔瀬町の殺人事件があった場所が、小学生の肝試しスポットとなっているのだという。 まあ元気があって何よりですこと・・・ という気もしないではないが、殺人事件があると、このように心霊スポット… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 5月 1937 盛岡農学校の寄宿舎で火災 原因は生徒のタバコ 5月15日朝8:05頃の朝礼中、紫波郡見前村の盛岡農学校の寄宿舎で火を噴いているのを教頭が発見した。 直ちに教員・生徒総動員で消火に努め、9時ごろ鎮火した。 寄宿舎の隣には15,000円相当の蚕種があったが、それは無事であったという。 原因は寄宿舎にが行っている二戸郡出身の生徒の煙草の不始末で、朝に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 3月 1935 釜石町に大火が発生し22戸が全焼(昭和10年3月7日) 昭和10年3月8日の岩手日報より。 3月7日の午前1時過ぎ、釜石町大渡3丁目から発火、22戸全焼したと言う火災が発生した。 出火と同時に、町役場では吏員が非常召集し救護に出動した。 そして、焼け出された避難民に炊き出しを行い、20日分の食料と、罹災資金20円、被覆は1人につき5円、学用品は3円を配給… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 三陸大津波2周年で県庁で避難演習(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 昭和8年3月3日、三陸大津波は岩手県にも甚大な被害を及ぼした。 そこから2年が経過し、岩手県庁では避難演習をしたのである。 想定としては「上閉伊郡釜石港に津波の襲来があり、本県海岸一帯人畜家屋の被害甚大、盛岡市内赤十字病院裏手より発火し目下北風にあおられて延焼中」… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 3月 1935 炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭… 続きを読む
b二戸・二戸郡 27 2月 1935 浄法寺村議会で放尿・乱闘さわぎ(昭和10年2月27日) 昭和10年3月1日の岩手日報より。 浄法寺村議会では、前の村長の功労金として、3500円を出すべく議案を提出した。 これに対して、傍聴者50名が議場に押し寄せて村長を罵倒するなどとなった。 15時ごろ、この件に不満を抱く村議会議員が、酒気を帯びて役場へ行き、「この功労金の議案を可決してみろ!ただでは… 続きを読む
g北上・和賀郡 2 9月 1934 和賀川下流で流木を拾った住民が次々検挙(S9.9.2岩手日報) 和賀川に洪水があって木が流れ出し、その流木を沿岸の藤根・江釣子などの住民が拾って黒沢尻警察署に次々と検挙というニュース。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 八戸の男が盛岡や宮古で詐欺行脚(S8.11.1岩手日報) 八戸の男が岩手県内でこんなことをやらかした。 宮古で3円の宿代を踏み倒し、 盛岡で食い逃げ、 盛岡の別の料理店で「女中を世話してやる」と手付金30円を持ち逃げ、 盛岡市内の36歳離婚女性に「一緒になれば宮古で漁業をする」と結婚を約束するも、宮古で売られそうになっていることを察知し逃げられ、 宮古で「… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 3月 1933 川徳では春の呉服・雑貨大売出し! 昭和8年3月4日の岩手日報より。 前日に発生した三陸大津波に際し、「畏き辺り」つまり天皇陛下(というか宮内省なんだろうけど)は被害を「痛く御軫念あらせられ」、昭和2年の北丹後地震の時と同様、侍従を被災地にお差遣することとした、というニュース。 そのわきでは盛岡の川徳が「春の呉服・雑貨大売出し」の広告… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 3月 1933 三陸大津波 昭和8年3月3日午前2時30分、釜石市東方200kmの海上でマグニチュード8.1の地震が発生。 正直、これ以上のことは写真も含めてWikipediaを見ればすべて分かるので、そちらをご覧ありたい。 ここでは、この地震と大津波が岩手県内でどのように報じられたかということについてのみ触れておくことにする… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 3月 1933 昭和初期は疾病に関するプライバシーなど無かった 今でこそ、病気に関する情報はプライバシーとして守られているが、昔は全然そんな概念などなかった。 有効な治療法が存在しなかった時代は、せめて「どこの家で発生したか」知ることで、感染を防ぐという需要はあったのかも知れない。 2020年からのコロナ禍においても、「感染者のプライバシーの為に住所は公表しない… 続きを読む
m県外・参考 1 11月 1932 青森県警察部でニセ高文官僚(S7.11.1岩手日報) 青森県警察部に、「東京帝国大学を卒業し高等文官試験に合格した」というふれ込みの警部補が入った。 しかし、その青森県警察部には同郷の警察官が勤務していた。 それで全てがバレ、一週間で免官になってしまった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1932 盛岡警察署の交通取締の結果(昭和7年11月1日) 昭和7年11月1日の岩手日報より。 盛岡警察署では、10月18日〜30日まで各交番を指揮して交通一斉取り締まりを実施した。 その結果は以下の通り。 告発 28件 自動車無免許運転 3件 自動車泥除け無し 1件 自動車規定表示無し 6件 貨物自動車に乗車 1件 自転車警告設備無し 5件 自転車無灯火 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 7月 1932 花巻駅付近の人身事故は二高生の心中(昭和7年7月1日) 昭和7年7月3日の読売新聞より。 7月1日の夜、東北本線の花巻付近で男女が轢死する人身事故があった。 どうやら遺留品を見てみると、二高(旧制。現在の東北大学教養部)の生徒とその恋人らしい。 仙台からも二高の生徒主事がやってきて確認に来たところ「間違いない」ということになった。 ところが、その二高生の… 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 9月 1931 村議の男(29)が復縁目当てに放火 昭和6年9月30日の岩手日報より。 記事では「世にも浅はか 男のお七 家事手伝いの功を狙って離縁の妻方に放火」とい見出しとなっている。 「お七」とは、井原西鶴「好色五人女」に登場した「八百屋お七」のこと。 八百屋のお七は、江戸の大火で近所の寺で避難生活を送ることになる。 その時に寺小姓の少年と恋仲に… 続きを読む
l全県 11 9月 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金 昭和6年9月11日の岩手日報より。 1931年の中国における大水害は、Wikipedia日本語版にも項目が立っているほどである。 このことは当時の岩手県内でも話題になっており、岩手県社会課では1口1円以上で、9月25日まで義捐金を募ることとした。 岩手県庁だけではなく、愛国婦人会岩手県支部でも同様に… 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 8月 1931 市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日) 昭和6年9月1日の岩手日報より。 8月31日の久慈は市日であり、二十八日町は近郷から来ていた客で雑踏となっていた。 そこへ、軽米自動車組合のナンバー岩29の乗合自動車が突っ込んでくるではないか! 結局、重傷者4名、軽症者2名の大惨事となってしまった。 負傷者は直ちに田村医院と石川医院に運び込まれた。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 6月 1931 あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) 昭和6年9月1日の岩手日報より。 8月31日に19歳の少年と21歳の男を被告に開廷された自動車強盗事件の裁判があった。 これは、6月3日に自動車強盗をやろうとして失敗した。というものである。 主犯は19歳の小柄な少年。 青森の下北半島の生まれで、製材工場のエンジン係として働いていた。 そこで主人のト… 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 函館で不敬事件発生。内容は極秘(S5.3.1岩手日報) 函館で不敬事件が発生し船員が拘束されたことを岩手日報でも報じている。 ただし、その不敬罪の内容は秘密であった。 そんな「報道の自由」のない時代。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1930 原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(昭和5年3月1日) 大正10年11月4日、時の総理大臣であった盛岡出身の原敬は、大塚駅転轍手の中岡艮一の凶刃により暗殺された。 そして中岡には無期懲役の判決が下された。 それから9年。 昭和5年3月1日の岩手日報には、その中岡艮一の家族のその後が掲載されている。 「無期懲役」と言いながら、出所が近いというのだ。 51歳… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1930 盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 盛岡の遊郭である八幡町の貸座敷組合では、80名いた娼妓にアンケートを取り、以下のような改革を行うこととなった。 勘定書はこれまで番頭が持っていたものを仲居に持たせ、娼妓の手当を増す。 1時間制を採用し、1時間1円50銭とする。 盛岡警察署長も「遊興を猛烈に誘う結果に… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 28 2月 1930 水沢区裁判所で猫を失火罪で訴える珍無類な裁判(昭和5年2月28日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 失火罪で水沢区検事局から20円の罰金の略式命令を受けた33歳の女がいた。 しかし、その女は「責任は猫にあるんです」と猫を訴えることにした。 この裁判が2月28日に行われ、「猫が失火をなしたとの理由は認められない」と、結局罰金20円を言い渡されスゴスゴ退廷したという。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 6 9月 1929 花巻で最初の朝鮮人の小学生(S4.9.6岩手日報) 関東大震災から6年後、花巻小学校にも朝鮮人の小学生が入学することになったというニュース。 ちなみに、昭和32年の東和町での殺人事件の犯人も花巻小学校であるが、昭和16年に満州から引き上げてきた時にいじめられたのだという。 … 続きを読む