e釜石・遠野・上閉伊郡 27 6月 1959 釜石の洋品店「ワンピース・ツーピース・ブラウス全て2300円均一!」(昭和34年6月27日) 昭和34年6月27日の岩手東海新聞より。 釜石市内の洋品店では均一セール。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 6月 1959 江刺のヤマハオルガン教室の月謝は1ヵ月300円(昭和34年6月26日) 昭和34年6月26日の岩手民声新聞より。 ここからには、ヤマハオルガン教室の広告乗っている。 月謝は1ヶ月300円であると言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 6月 1959 釜石にゴールドサーカスが来ます!(昭和34年6月15日) 昭和34年6月15日の岩手東海新聞より。 16日に仮設テントの上棟式をやるというが、沿岸式に餅でも撒いただろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 6月 1959 釜石で貨物船の外人船員がバーで時計を強奪(昭和34年6月12日) 昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この日の夜3時ごろ、釜石市内のバーで飲んでいた外人客が、バーテンから時計を強奪した。 通報で駆け付けた釜石署員に逮捕されたが、それは釜石港に出入りしていたリベリア船籍の貨物船の40歳の船員であった。 Betanko Policarpoという名前だということで… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 6月 1959 人口増加する釜石では山を切り崩して住宅地に(昭和34年6月12日) 昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 製鉄所や鉱山で賑わう釜石は人口増加していたが、いかんせん平地は少なく、住宅は山でも切り崩さないと建てることはできなかったのである。 それで、釜石高校の向かいの山を切り崩して住宅を造成していた。 釜石市の住宅地は、甲子川沿いにどんどん上がっていっているようだっ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 5月 1959 キャンプ用の貸しテントは1日60円(昭和34年5月23日) 昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 釜石市内の頒布会社では、キャンプや集会用にテントを貸し出している。 1人用は1日で60円であると言う。 そのほかのテントも大小に応じて。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 5月 1959 琵琶湖の稚アユを甲子川と鵜住居川に放流(昭和34年5月18日) 昭和34年5月19日の岩手日報より。 釜石市と釜石淡水漁業組合は、5月18日の正午に琵琶湖から送られたアユ4万尾を、甲子川に3万尾、鵜住居川に1万尾放流した。 釜石までは貨車で水温10度に保たれてきたが、長旅で弱り果てていたという。 解禁となる7月下旬には15~6センチとなろう、と。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12 4月 1959 江刺在住の正田家で奉公したことがある女性が皇太子妃美智子さまを語る(昭和34年4月12日) 昭和34年4月12日の岩手民声新聞より。 このほどご成婚された皇太子妃美智子さまが正田家におられた頃、正田家で子守りをしていた女性が江刺市内に在住しているという。 それは江刺市玉里の亜炭鉱山で夫と3男1女と暮らしている36歳の女性。 宮城県生まれで、戦時中の19歳の時に兄の知人の世話で正田家に奉公す… 続きを読む
i一関・西磐井郡 10 4月 1959 皇太子殿下ご成婚にあやかろうと4月10日は一関八幡神社では結婚式が10組も(昭和34年4月10日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 この年の4月10日には皇太子殿下のご成婚が予定されており、全国的に結婚ブームとなっていた。 一関でもその例にもれなかったようで、市内の一関八幡神社ではこの日に結婚式を予定しているのが10組、山目配志和神社では7組も申し込みがあった。 市内のデパートでも「ミッチー… 続きを読む
備考※1 10 4月 1959 【参考】皇太子殿下ご成婚(昭和34年4月10日) 中日ニュースより。 昭和34年4月10日、皇太子昭仁殿下と正田美智子さんが御結婚。 https://www.youtube.com/watch?v=4X2lSI7HhSs … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 4月 1959 皇太子殿下ご成婚記念に江刺市では植樹(昭和34年4月9日) 昭和34年4月12日の岩手民声新聞より。 皇太子殿下ご成婚を記念し、江刺市では市内伊手口沢の赤金鉱業所付近の市有地にアカマツ1,500本の植樹を行ったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1959 皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日) 昭和34年4月5日の河北新報より。 敗戦してからというもの、「日の丸」の国旗は日陰者のような存在であったそうな。 しかし、皇太子殿下の御成婚では盛岡市内の染物屋に商工会議所などから注文が舞い込み、街の家々に日の丸が翻るのだとか。 盛岡市内の商店主は、「この日の丸ブームは大正天皇の御大典の半分ぐらい、… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 4月 1959 一関では最高気温17.6℃(昭和34年4月4日) 昭和34年4月4月の岩手報知より。 この日は一関の最高気温は十六度七分と今年の最高を示した・・・のだというが、この記事の見出しは「最高気温17度6分」で、一体全体17.6℃なのか16.7℃なのか判然としない。 また、盛岡地方気象台では4月3日15時に「異常乾燥注意報」を発表したようである。 ともかく… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 4月 1959 大槌町須賀海岸は潮干狩りのシーズン(昭和34年4月1日) 昭和34年4月1日の読売新聞岩手版より。 大槌町の須賀海岸では潮干狩りのシーズンになっていた。 それで潮干狩り列車やバスの増発するほどであったという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 3月 1959 一関職安管内の北海道農夫出稼ぎ希望者は求人の半分以下の応募(昭和34年3月30日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 北海道季節農業労務者は一関公共職業安定所で150人の求人に対し、半分以下の70人しか集まらなかったという。 この70人は、4月2日と4日に北海道に向けて出発するという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 3月 1959 一関保健所では不良ジュースをドシドシ押収(昭和34年3月30日) 昭和34年3月30日の岩手報知より。 春の行楽シーズンを控え、市内の商店にも多数の清涼飲料水が出回って来た。 一関保健所では、製造所・内容物・容器承認番号等を記載していない粗悪な清涼飲料水をドシドシ押収していった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 3月 1959 集団就職の第4陣が一ノ関駅を出発(昭和34年3月30日) 昭和34年3月31日の岩手報知より。 中学校を卒業して集団就職する若者の第4陣が、3月30日19時51分、臨時列車で一ノ関駅を出発した。 人数としては、一関職安管内で230名余り、水沢・千厩職安管内も合わせると600名余りとなったという。 これに先立って、14時から就職者を一関小学校の講堂に集め、菅… 続きを読む
i一関・西磐井郡 25 3月 1959 一関を蠅や蚊のいない市にしよう(昭和34年3月25日) 昭和34年3月25日の岩手報知より。 一関市では、昭和34年度の一大事業として蠅や蚊のいない市のするため、各民区に衛生班の結成を奨励することになった。 衛生班を結成したら、以下のような活動を想定しているという。 清潔法の実施 衛生思想普及幻灯会・映画会の開催 衛生講演会の開催 生活改善・模範衛生地区… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 3月 1959 県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 この年に中学校を卒業して社会に出る就職者の為に、3月24日13時から県教育会館で「就職者激励会」が行われた。 就職者700名、県職安課長、山本盛岡市長など来賓が多数列席した。 山本盛岡市長からは「立派な社会人になるよう修行してもらいたい」という激励のあいさ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 3月 1959 釜石で尺貫法の廃止で要らなくなったマスやハカリの葬式(昭和34年3月24日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 前年の昭和33年12月31日をもって、尺貫法が廃止されメートル法が用いられるようになった。 そこで、それまでの尺貫法の枡や秤は要らなくなったので、送り彼岸である3月24日、釜石市内の石応寺でそれら枡や秤の葬式が行われ、これをメートル法のPRの機会と釜石市の… 続きを読む
i一関・西磐井郡 12 3月 1959 一関の飲食店「昔を思い出し2合入タンポでお安く飲まれます」(昭和34年3月12日) 昭和34年3月12日の岩手報知の広告欄より。 一関市内の飲食店で広告を出している。 いわく「昔を思い出し二合入タンポに御通し付で安くのまれます」 酒タンポとは? 二重構造となった金属製のコップで、外側のコップにお湯を入れることで手軽に熱燗が楽しめるというもののようである。 また、女中さ… 続きを読む
j東磐井郡 23 2月 1959 東山町の長坂中学校では修学旅行の旅費を稼ぐためにかくし芸大会(昭和34年2月23日) 昭和34年2月23日の河北新報岩手版より。 東山町の長坂中学校では、毎年5月に東京・日光方面に湯修学旅行に行くのが常であった。 しかし、旅費は1人当たり4千円、服やカバンを揃えると6~7千円は必要であり、この負担に耐えられない1割ぐらいの生徒は、修学旅行に参加できなかった。 そんなまず牛居生徒達でも… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4 1月 1959 一関・有楽座では新東宝のスターを招いて新春ショー(昭和34年1月4日) 昭和34年元旦の岩手報知より。 一関の有楽座では、新東宝のスター3名を招いて新春ショーを「実演」するという。 来るスターと、その時点での出演歴は以下3名。 明智十三郎(32)・・・「明治天皇と日露大戦争」「天狗四天王の逆襲」に出演 池内淳子(25)・・・昭和30年の「二郎物語」で注目され、翌年の『新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機は12回払いで!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機はナショナル12回払いで!」と広告を打っている。 当時はこうした月賦販売の会社が県域であったのだろうか。 というか、掃除機って月賦で買わないといけないほど高いものだったの??? &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 12月 1958 呉服の亀半「Xマスも晴着!お正月も晴着!」(昭和33年12月13日) 昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 今でもラジオでやってるかどうかはわからないが〽呉服の亀半~ というサウンドロゴは知っている人が多いのではないだろうか。 呉服の亀半は令和3年現在でも肴町に店舗を構え操業130年になる老舗の呉服店であるが、このように折に触れ「晴着を着ましょう!」と宣伝し… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 12月 1958 一関・カンブン商店のお惣菜(S33.12.5岩手報知) 一関のカンブン商店の広告。 この頃のお惣菜は10円程度。 現在はスーパーマーケット「神文ストア」として両磐を中心に盛業中。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 11月 1958 就職するのか高校に行くのかどっちかにして(S33.11.5岩手報知) 昭和33年当時は高校進学率も低く、中卒者の労働市場があった。 ところが、高校に行くことになったので内定を蹴るとかもあったようで、職安も雇用主も頭の痛い問題だったようだ。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1958 江刺市の市制に各社が祝賀広告(昭和33年11月3日) 昭和33年11月3日の岩手民声新聞より。 この日、江刺市が市制。 このため、県内各社が祝賀広告を出している。 ラジオ岩手が県内初の民放テレビ局となるのは翌年9月のこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1958 江刺市内の販売店「シンガーミシン現金払いなら26,500円!」(昭和33年11月3日) 昭和33年11月3日の岩手民声新聞より。 江刺市内のミシン販売店ではシンガーミシンが2万いくら。 … 続きを読む