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盛岡日活で「嵐を呼ぶ男」「紅の翼」を公開(昭和34年1月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡日活で「嵐を呼ぶ男」「紅の翼」を公開(昭和34年1月4日)

昭和34年1月4日の河北新報より。 盛岡日活では「嵐を呼ぶ男」と「紅の翼」を公開する。 「嵐を呼ぶ男」は昭和32年12月28日初公開で主演はマイトガイ小林旭。 「紅の翼」は昭和33年12月28日公開で、こちらはほぼタイムラグなく初封切となっている。 主演は石原裕次郎。    …
盛岡東映で「丹下左膳」「殿さま弥次喜多捕物道中」を公開!(昭和34年1月4日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡東映で「丹下左膳」「殿さま弥次喜多捕物道中」を公開!(昭和34年1月4日)

昭和34年1月4日の河北新報より。 盛岡東映では「丹下左膳」を「殿さま弥次喜多捕物道中」を公開する。 「丹下左膳」は昭和33年3月18日初公開で、主演は大友柳太朗。 直営館で1年近いタイムラグというのは、これは封切ではない? 「殿さま弥次喜多捕物道中」は昭和34年1月3日初公開でほぼタイムラグは無し…
国鉄盛岡工場で新製材工場 a盛岡・岩手郡・紫波郡

国鉄盛岡工場で新製材工場

国鉄の盛岡工場は、これまで二枚橋派出所(現在の花巻空港駅)にあった製材関係の工場を、盛岡駅裏の本場に移し、一部作業をすでに始めているという。 これは経営の合理化によるもので、客車の床などに使用するのだという。 国鉄盛岡工場は敷地の狭さが悩みであり、それで作業場がタコ足で分散していたところ、盛岡市の協…
盛岡・東宝第一劇場で「弥次喜多道中双六」「おめでとう皇太子さま」公開!(昭和33年12月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・東宝第一劇場で「弥次喜多道中双六」「おめでとう皇太子さま」公開!(昭和33年12月14日)

昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 盛岡・東宝第一劇場では「弥次喜多道中双六」と「おめでとう皇太子さま」を12月14日に公開するという。 「弥次喜多道中双六」は昭和33年12月7日の公開で、弥次喜多が大井川を渡り京へ着くまでを描く。 また、「おめでとう皇太子さま」も昭和33年12月7日の…
岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機は12回払いで!」(昭和33年12月13日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機は12回払いで!」(昭和33年12月13日)

昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 岩手ナショナルラジオ月賦販売KK「電気掃除機はナショナル12回払いで!」と広告を打っている。 当時はこうした月賦販売の会社が県域であったのだろうか。 というか、掃除機って月賦で買わないといけないほど高いものだったの???     &…
呉服の亀半「Xマスも晴着!お正月も晴着!」(昭和33年12月13日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

呉服の亀半「Xマスも晴着!お正月も晴着!」(昭和33年12月13日)

昭和33年12月13日の岩手日報の広告欄より。 今でもラジオでやってるかどうかはわからないが〽呉服の亀半~ というサウンドロゴは知っている人が多いのではないだろうか。 呉服の亀半は令和3年現在でも肴町に店舗を構え操業130年になる老舗の呉服店であるが、このように折に触れ「晴着を着ましょう!」と宣伝し…
盛岡・中央ホールで大映「弁天小僧」「白鷺」公開(昭和33年12月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・中央ホールで大映「弁天小僧」「白鷺」公開(昭和33年12月14日)

昭和33年12月13日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールでは大映映画「弁天小僧」と「白鷺」を公開する。 「弁天小僧」は大映の製作で初公開は昭和33年11月29日。出演は市川雷蔵や勝新太郎。 「白鷺」もまた大映の製作で初公開もまた昭和33年11月29日。主演は山本富士子。元々は明治期に東京朝日新聞に連…
これがディーゼル準急に使われる「キハ55」だ!(昭和33年12月9日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

これがディーゼル準急に使われる「キハ55」だ!(昭和33年12月9日)

昭和33年12月9日の岩手日報より。 翌年から、盛岡〜福島に運行が予定されているディーゼル準急「くりこま」に使用されるキハ55というディーゼルカーが盛岡客貨車区に到着した。 クリーム色に赤い線というスマートな車体で、自動暖房装置が付いているという快適な車内である。     &nb…
「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映 a盛岡・岩手郡・紫波郡

「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映

昭和33年5月20日の岩手日報では、盛岡国劇で「戦場にかける橋」が封切になる旨の広告が出されている。 「戦場にかける橋」は言うまでもなく1957年英米合作の戦争映画で、収容所長役の斎藤大佐役を演じた早川雪洲はアカデミー助演男優賞にノミネートされている。 日本での初封切は前年1957年の12月22日で…
第28回衆議院選挙広告:小沢佐重喜(小沢一郎の父)・椎名悦三郎など a盛岡・岩手郡・紫波郡

第28回衆議院選挙広告:小沢佐重喜(小沢一郎の父)・椎名悦三郎など

昭和33年5月20日に岩手日報に掲載佐された選挙広告より。 椎名悦三郎(自):後年まで知れた大物議員。水沢市出身。この選挙の翌年、岸内閣で官房長官となる。その後の池田内閣でも通産大臣や外務大臣を務める。 千葉七郎(社):東磐井郡千厩町出身。この選挙では落選するが、昭和38年の第30回衆議院選挙で当選…
第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝 a盛岡・岩手郡・紫波郡

第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝

昭和33年5月18日の岩手日報より。 22日に投票日を控え、県選挙管理委員会では公明選挙を訴え、県公会堂の前でアドバルーンを上げることに。 また、記事では棄権を無くすように訴えている。 この頃から「選挙で何も変わりはしない」と斜に構えたニヒリストはいたようである。 また、「20」を「廿」で表記するの…
6月6日に三波春夫が盛岡体育館に来ますよ!(昭和33年5月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

6月6日に三波春夫が盛岡体育館に来ますよ!(昭和33年5月18日)

昭和33年5月18日の岩手日報の広告欄より。 三波春夫が盛岡体育館に来るという。 今でこそ盛岡でコンサートがあるといえば岩手県民会館(昭和48年竣工)か、盛岡市アイスアリーナ(平成元年竣工)が相場になっているが、当時は盛岡体育館(昭和32年竣工)だったようである。 この当時、三波春夫がどんな歌手であ…
ナイトスポット「ソシュウ」オープン a盛岡・岩手郡・紫波郡

ナイトスポット「ソシュウ」オープン

昭和33年5月15日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡の菜園に「ソシュウ」というナイトスポットがオープンするという。 ナイトスポットというのは・・・現在(というか後年)でいうグランドキャバレー的なものだろうか。 昭和40年代の岩手日報では「ソシュウに○○という芸能人が来ます!」という広告がよく見…
盛岡市立高校が加賀野に移転 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市立高校が加賀野に移転

下小路にあった盛岡市立高校がそれまでの校地を下小路中学校に譲渡し、加賀野に移転することになった。 盛岡市立高校は昭和24年に、盛岡市立女子高校と盛岡市立女子商業高校を合併して発足した女子校であった。 これが共学化するのは、この翌年の昭和34年からである。 共学化を見越した校舎の移転だったのであろう。…
早くもコイノボリ a盛岡・岩手郡・紫波郡

早くもコイノボリ

昭和33年4月24日の岩手日報より。 翌月の「こどもの日」を前に盛岡のKデパートではコイノボリが早くも泳いでいる、というニュース。 記事の原文に「Kデパート」とぼかして書いているのだが、どう見ても川徳デパート。ここで仮名を使う意図がよく分からない。 それはともかく、当時中ノ橋にあった川徳から中津川の…
岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日)

昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。…
いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス a盛岡・岩手郡・紫波郡

いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス

昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。   いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。…
盛岡東宝第一劇場で「無法松の一生」大公開! a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡東宝第一劇場で「無法松の一生」大公開!

昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 東宝直営の第一劇場では「無法松の一生」を公開するのだという。 (封切という表現は使っていない) 「無法松の一生」を稲垣浩が監督するのはこれが初めてではなく、昭和18年に大映によって阪東妻三郎主演によって初公開されたのだが、お色気シーンを内務省に検閲され、…
盛岡東映で「大菩薩峠 第二部」「月の輪族の逆襲」封切で東京同時大公開! a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡東映で「大菩薩峠 第二部」「月の輪族の逆襲」封切で東京同時大公開!

昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 「大菩薩峠 第二部」は、昭和10年の日活(大河内伝次郎主演、稲垣浩監督)に始まり、昭和28年に東映(片岡千恵蔵主演、渡辺邦男監督)でも映画化されている。 今回は東映で片岡千恵蔵が主演で、監督は内田吐夢のバージョンとなる。   また、「変幻胡蝶の…
盛岡・国劇で「殿方ご免あそばせ」「船の女」公開!(昭和33年4月20日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・国劇で「殿方ご免あそばせ」「船の女」公開!(昭和33年4月20日)

昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の洋画専門館・国民劇場では4月20~28日の間、「殿方ご免あそばせ」と「船の女」を公開する。 「殿方ご免あそばせ」(原題:Une Rarisienne)はフランス映画で日本での初公開は昭和32年12月21日。 主演は当時マリリン・モンローと並び立つセ…
修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! a盛岡・岩手郡・紫波郡

修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で!

昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの…
大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日)

昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ?    …
岩手でも日食を観測できた a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手でも日食を観測できた

昭和33年4月19日の日食は、Wikipedia仁も独立して項目がある。 日本の南の報では、金環食を観測することができたようである。 これが岩手ではどうだったか・・・ 盛岡でも日食を観測できるとあり、盛岡一高の天文部も、盛岡地方気象台の屋上に陣取って午前中から大張り切りであった。 そして13時11分…
松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」公開! a盛岡・岩手郡・紫波郡

松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」公開!

昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 「明19日大公開!」として、松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」の公開の宣伝をしている。 「若い広場」は高千穂ひづるが主演で、この広告によれば「10代のみずみずしい肢体を未知の人生に激しく燃やす四人の高校三年生!」ということで、何というか「健康的なお色…
信用金庫の職員が一家3人殺して逃亡(昭和33年4月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

信用金庫の職員が一家3人殺して逃亡(昭和33年4月18日)

昭和33年4月18日に日が変わった丑三つ時。 盛岡市の寺町である新馬町の長屋から、住人の主婦の悲鳴が上がった。 「誰か来てーーーッ!」 何事かと思って眠りを破られた長屋の住人が集まってくる。 「どうしました?」 「何でもないんです」 ああ、そういえばここには19歳の養子がいたんだった。 喧嘩でもした…
新年の晴れ姿 a盛岡・岩手郡・紫波郡

新年の晴れ姿

昭和33年2月13日の朝日新聞岩手版より。 「岩手サロン新年晴姿」という読者投稿写真のコーナーがあったようで、「おそろいで」という題で投稿されている。 撮影者は盛岡市の人のようなので、盛岡市内なのだろう。 多くの女性が和服姿となっている。 ちなみに現在なら肖像権がどうとかで「写真作品」として投稿でき…
岩手県立美術工芸高校・・・? a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県立美術工芸高校・・・?

昭和33年1月30日の読売新聞より。 岩手県内の全日制公立高校の出願状況がまとまったことを報じている。 大まかにみると、市部の名門校が1.5倍前後の高倍率となっている。 そして、郡部の高校は定員割れを起こしている。 ところで、この中で「美術工芸高校」というのが気になる。 30人の定員に16人の出願。…
旧渋民村民「合併したらなんで村名が玉山村なの…」 a盛岡・岩手郡・紫波郡

旧渋民村民「合併したらなんで村名が玉山村なの…」

「昭和の大合併」で多くの町村が合併したが、その悲喜こもごもを昭和32年6月26日の読売新聞は報じている。 青森県十和田市は三本木市から改名したら、上北郡十和田町や秋田県十和田町と混同されるように。電話局も「十和田局」となり、「十和田湖局」と混同されるようになった。(当時は自動電話ではなく、まず交換手…