l全県 19 9月 1952 衆議院選挙・マイクは街から村へ(S27.9.19岩手日報) 昭和27年に行われた第25回衆議院選挙は9月5日公示、10月1日投票。 選挙戦が各地で繰り広げられていた。 結果は以下の通り。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1952 GHQ仙台民事局「東北地方は凶作続きで可哀想だから、我がアメリカで農業技術を学ばせてあげよう!」(昭和27年9月16日) 敗戦により進駐軍が進出してきたわけだが、東北地方の民政は昭和20年の9月に塩竈から上陸したアメリカ軍第14軍団が、司令部を仙台・郵便貯金ビルに設置し行うこととなった。 そして昭和24年からは軍政をやめ、民政部となったのだが、その時期から仙台に勤務していたC.L.ミラー氏は、「恵まれない」東北の農業発… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 9月 1952 我が町わが村「世田米町」 昭和27年9月13日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、今回は気仙郡世田米町。 後年の住田町となる。 この年に市制した隣の大船渡市は、国土総合開発による工業都市に指定され、農地が潰されることが予想されていた。 おそらくは陸前高田も同じような道を歩むだろう。 そうすれば、… 続きを読む
g北上・和賀郡 11 9月 1952 黒沢尻町は都市計画で面目を一新(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 黒沢尻町(現:北上市)は戦時中は国産軽銀があったが、廃墟となっていた。 そこへ工場地帯が再び建設されるなど、復興の兆しを見せていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 9月 1952 聞け!映画「原爆の子」に寄せる巷の声(昭和27年9月11日) 昭和27年9月11日の岩手日報より。 サンフランシスコ講和条約までは、日本に国家主権はなく「occupied Japan」だったため、アメリカを批判するようなことは報道できなかった。 それで、原爆被害も大っぴらに報道することはできなかったのだ。 しかし、講和で独立を勝ち取ると、それを大っぴらにする… 続きを読む
l全県 5 9月 1952 衆議院選挙始まる(昭和27年9月5日) 昭和27年9月6日の岩手日報より。 8月28日に、第三次吉田内閣は抜き打ち解散をして、9月5日に衆議院選挙が始まった。 この選挙は、昭和25年に公職選挙法が制定されて、はじめての選挙となる。 この当時の選挙カーはトラックを流用していたようである。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 9月 1952 盛岡市警察署員が岩手公園で訓練 昭和27年9月4日の岩手日報より。 秋晴れの空の下、岩手公園で盛岡市警察署員が点呼を行う。 記事には「十三万市民をまもる・・・」と書いている。 当時、盛岡の人口は13万人であったようだ。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 9月 1952 大船渡市の立根支所・立根中学校が新築落成 昭和27年9月3日の岩手日報より。 4月に市制したばかりの大船渡市で、立根支所(旧立根村役場)と立根中学校の校舎が完成し、完成記念式典が挙行された。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1952 仙人峠トンネル着工(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 遠野と釜石を結ぶ仙人峠トンネルが着工下という。 これは釜石鉱山の探鉱を兼ねるもので、アメリカから最新機器を導入して開始したのだという。 … 続きを読む
l全県 3 9月 1952 市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日) 昭和27年9月3日の岩手日報より。 「昭和の大合併」の少し前、教育委員を選挙で選んでいたころ、各町村の教育委員会を維持運営するのもかなりの負担だったようだ。 それで、教育委員会は県にやってもらおう、という考えも一部にはあったようだが、それには根強い反対があった。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 7月 1952 岩手県出身BC級戦犯慰霊祭(S27.7.4岩手新報) フランキー堺主演「私は貝になりたい」でも話題となったB ・ C級戦犯であるが、日本が占領されている間は、戦争犯罪人として、その霊を慰めることも許されなかったが、講和によって独立を勝ち取り、初めて慰霊祭が開かれることになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1952 岩手公園で戦没者追悼式典(S27.5.18岩手新聞) 日本は講和で独立を勝ち取り、岩手公園では戦没者追悼式典が行われた。 Occupied Japanでは戦没者を追悼する事由もなかったのだ。 ちなみに岩手県の戦没者は36,000名であったという。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 17 5月 1952 花巻職業安定所の庁舎完成(昭和27年5月17日) 昭和27年5月17日の岩手新聞より。 花巻職業安定所の庁舎が完成し、県労働部長などが臨席し、竣工式を行ったという。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 5月 1952 岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) 昭和27年5月6日の岩手新聞より。 岩泉町は、この年町制30周年を迎えたと言う。 上では、町内の各事業所が名刺広告を出している。 まだ国鉄岩泉線が開業していなかった頃なので、岩泉への足は国鉄バスであり、国鉄バス岩泉営業所が広告を出している。 また、県北バスの本社があった頃で、岩泉町内に路線がないにも… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1952 講和条約が発効し盛岡のY小学校でも騎馬合戦(昭和27年5月1日) 昭和27年5月1日の岩手新聞より。 この年の4月28日、サンフラなシスコ講和条約が発効し、日本は国家主権を回復した。 そのおかげで、これまでGHQに「軍国主義につながる」と禁じられていた柔道や剣道などが解禁されることになった。 それで、盛岡のY小学校では騎馬合戦が繰り広げられることになったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 8月 1951 盛岡・肴町商店街と警察・市役所が車馬通行をめぐって対立(S26.8.6夕刊いわて) 夜店計画に“待った” —— アーケード前夜の肴町商店街と交通問題 昭和二十六年八月六日付の「夕刊いわて」には、当時の盛岡市肴町商店街が直面していた“夜店問題”が大きく取り上げられている。 Screenshot 現在の肴町といえばアーケード街として知られ、歩行者がゆったり買い物を楽しめる空間が整備され… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 7月 1951 乙部村手代森に県下一の消防車(S26.7.29夕刊いわて) 紫波郡乙部村手代森(後の都南村手代森、現盛岡市)部落では、県下一の消防車を買うことにしたと。… 続きを読む
l全県 21 7月 1951 朝鮮動乱を受けた物価の変動(昭和26年7月21日) 昭和26年7月21日の「夕刊いわて」より。 マリク声明による朝鮮動乱ノノナナ停戦を受けた物価の動向が表としてまとめられている。 やわらかいもの(繊維・ゴムなど)はそれほどでもなかったが、固いもの(鉄鋼・石炭など)はてきめんに上昇していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 「婦人の職場を明るくしましょう」と叫んでいる県庁のお膝元にブラック企業(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 この時期、県では「婦人の生活を明るくしましょう」と女性の働く職場の労働環境の向上を各職場に呼びかけていた。 そんな最中に、極めつけのブラック企業が県庁の中にあったのである。 それは県職員生活協同組合。 組合長以下7人の職員がいて、うち5人は女性。 その5人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 女子師範の跡地が花壇に(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 県庁前にあった岩手女子師範学校は、学制改革で岩手大学(上田)に統合され、跡地は荒れ地になっていたが、県職員によって花畑になっているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 5月 1951 開運橋のたもとで精神異常者が北上川に飛び込み大乱闘で救助(昭和26年5月21日) 昭和26年5月21日の「夕刊いわて」より。 この日の午前11時ごろ、開運橋の下流100メートルほどの盛岡駅側の岸から北上川に飛び込んだ男がいた。 それに続いてもう1人の男がこれを追って飛び込み、大騒ぎとなり、時折しも列車の到着時刻でもあったので、開運橋は人だかりができることになった。 結局、追われて… 続きを読む
l全県 16 5月 1951 春は家出のシーズン!多いのは若いツバメとの駆け落ち(昭和26年5月16日) 昭和26年5月16日の「夕刊いわて」より。 4~5月は家出人が多く、この年は5月15日までで149人が家出していたという。 以下のような実例があったという。 西磐井郡某村の役場書記の女性(21)。 同僚の男性(21)が妻帯者であるのを知りながら恋仲になり妊娠。 噂が出始めたので、2人で手に手を取って… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
l全県 24 4月 1951 各町村長の顔ぶれ(S26.4.24夕刊いわて) 昭和26年4月24日付の夕刊いわてを眺めていると、昭和の大合併という大きなうねりが押し寄せる直前の、岩手県がまだ数多くの小さな町村で構成されていた頃の熱気が伝わってきます。紙面の上半分を埋め尽くす町村長選挙の当選者一覧は、まさに地方自治の細かな鼓動を記録した貴重な史料です。今では市の一部となった懐か… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 4月 1951 盛岡市議会選挙の結果(S26.4.24夕刊いわて) 昭和26年4月24日の夕刊いわてを眺めていると、戦後復興期の盛岡が持っていた熱気と、現代とは異なる街の輪郭が浮かび上がってきます。この記事の一面を飾るのは新人20名が進出したという市議選の開票速報で、当時の市民の政治に対する並々ならぬ関心が伝わってきます。投票率が85パーセントを超えている点からも、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 4月 1951 今晩のラジオ番組案内(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 隅っこには「今晩のラジオ」として番組案内が掲載されている。 「朝鮮の戦局はどうなるか」などと、まるで当記事執筆現在のウクライナ侵攻のような感覚で朝鮮戦争を解説していたようである。 「QG」とはNHK盛岡放送局のコールサイン(JOQG)。 … 続きを読む