a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 7月 1951 乙部村手代森に県下一の消防車(S26.7.29夕刊いわて) 紫波郡乙部村手代森(後の都南村手代森、現盛岡市)部落では、県下一の消防車を買うことにしたと。… 続きを読む
l全県 21 7月 1951 朝鮮動乱を受けた物価の変動(昭和26年7月21日) 昭和26年7月21日の「夕刊いわて」より。 マリク声明による朝鮮動乱ノノナナ停戦を受けた物価の動向が表としてまとめられている。 やわらかいもの(繊維・ゴムなど)はそれほどでもなかったが、固いもの(鉄鋼・石炭など)はてきめんに上昇していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 「婦人の職場を明るくしましょう」と叫んでいる県庁のお膝元にブラック企業(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 この時期、県では「婦人の生活を明るくしましょう」と女性の働く職場の労働環境の向上を各職場に呼びかけていた。 そんな最中に、極めつけのブラック企業が県庁の中にあったのである。 それは県職員生活協同組合。 組合長以下7人の職員がいて、うち5人は女性。 その5人… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 女子師範の跡地が花壇に(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」より。 県庁前にあった岩手女子師範学校は、学制改革で岩手大学(上田)に統合され、跡地は荒れ地になっていたが、県職員によって花畑になっているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 5月 1951 開運橋のたもとで精神異常者が北上川に飛び込み大乱闘で救助(昭和26年5月21日) 昭和26年5月21日の「夕刊いわて」より。 この日の午前11時ごろ、開運橋の下流100メートルほどの盛岡駅側の岸から北上川に飛び込んだ男がいた。 それに続いてもう1人の男がこれを追って飛び込み、大騒ぎとなり、時折しも列車の到着時刻でもあったので、開運橋は人だかりができることになった。 結局、追われて… 続きを読む
l全県 16 5月 1951 春は家出のシーズン!多いのは若いツバメとの駆け落ち(昭和26年5月16日) 昭和26年5月16日の「夕刊いわて」より。 4~5月は家出人が多く、この年は5月15日までで149人が家出していたという。 以下のような実例があったという。 西磐井郡某村の役場書記の女性(21)。 同僚の男性(21)が妻帯者であるのを知りながら恋仲になり妊娠。 噂が出始めたので、2人で手に手を取って… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 4月 1951 盛岡市議会選挙の結果(S26.4.24夕刊いわて) 盛岡市議会選挙の結果。 小学校区別に結果が表示されている。 この当時は太田村や簗川村の合併前。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 4月 1951 今晩のラジオ番組案内(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 隅っこには「今晩のラジオ」として番組案内が掲載されている。 「朝鮮の戦局はどうなるか」などと、まるで当記事執筆現在のウクライナ侵攻のような感覚で朝鮮戦争を解説していたようである。 「QG」とはNHK盛岡放送局のコールサイン(JOQG)。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1951 自由党から共産党まで県議が呉越同舟で釣り(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」より。 この年の4月1日は日曜日。 日ごろは舌戦をたたかわせている各党の県議も呉越同舟で船に乗って釣りとしゃれこんでいる。 民主党(自民党になる前)の最高委員長や自由党の幹事長、社会党議員や共産党議員まで仲良く釣りを楽しんでいるようだった。 これは高松の池かどこか?… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 3月 1951 大通は「新興繁華街」だった(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事の23回目は大通。 当時は、大通は「新興の繁華街」であり、老舗は何といっても川徳や松屋の二大デパートのある肴町であった。 大通の看板は、中劇・東宝第一劇場・中央ホールの映画館が集まっていることであり、この大通と中の橋通り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡・桜山更生市場の土地問題 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 桜山神社周辺の「東大通り」のあたりは、戦後の引揚者による更生市場となっていた。 盛岡市では、これを新たにコンクリート建てのデパートにする案を持っていた。 それで、地主に用地買収交渉をしていたが、25年11月の時点で地主側はそれに代わる土地を要求、盛岡市側もそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡市長選挙に南部家の末裔が立候補?(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 この日が、夕刊いわての創刊号であったが、トップ記事は盛岡市長選挙。 なんと、南部家の末裔が立候補するのではないかと言う記事。 … 続きを読む
l全県 31 1月 1951 教科書の無料配布が難航(S26.1.31岩手新報) この年から小中学校の教科書か無料になったという。 しかし、その教科書を配布する市町村の予算ぐりがなされた訳ではなく、予定通りの配布ができないのではないかというニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 12月 1950 ララ物資にお礼のポストカード(昭和25年12月2日) 昭和25年12月2日の岩手新報より。 戦後の、アメリカ唐のララ物資は、岩手県内の厚生施設など各所に配られていたが、岩手県厚生課は、それに対するお礼としてポストカードを配ることにした。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 11月 1950 早くやってほしい施設15傑(昭和25年11月30日) 昭和25年11月30日の岩手新報より。 岩手新報では「早くやってほしい施設」に関して投票をやっていたようだ。 そして11月30日現在の15傑が出たのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 10月 1950 国鉄加賀山総裁が盛鉄局長室で会見「山田線復旧はどうなる?」(昭和25年10月9日) 国鉄の加賀山之雄総裁は昭和25年10月9日10:58、盛岡駅到着の列車で釜石線開通行事のために盛岡に来る。 昭和25年10月10日岩手日報より 9日11時からは、盛岡鉄道管理局長室で記者会見に応じた。 山田線復旧計画に変わりはない。治山治水工事の実態を理解してから。 26年度予算には計上するには至っ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1950 豊作なのに精米所の能力が足りず配給が遅滞(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年は食糧事情が好転し、米食率が73%で「戦後最良」であったという。 というか、73%しか米を食べれなくても、それは「良い方」だったらしい。 ともかくも、配給は「いも」「粉」に代わって米が1か月に22日分も配給されたのだという。 しかし、精米所が足りず遅配とな… 続きを読む
l全県 28 9月 1950 国勢調査にご協力ください!(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 この年の10月1日に国勢調査が予定されていた。 日本では大正9年(1920年)に第1回の国勢調査が行われ、昭和20年に行われなかった以外は「0」「5」の付く年に行われ、1950年は第6回目となった。 この国勢調査の意義として「日本再建の基礎となる重要資料」として… 続きを読む
l全県 27 9月 1950 東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1950 全専売労組の中央委員会が盛岡で開催される(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 全専売労働組合の中央大会が、盛岡市上田の専売公社盛岡支所新講堂で行われた。 この時期はレッド・パージの時期で、専売公社側は共産党員のリストを作成し、良くても100名程度、ひどい場合は3~400名程度の人員整理があるのではないかと予想していた。 また、この年の6月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 9月 1950 GHQ東北民事部オースチン教育課長が盛岡に来て県教育長と会談(昭和25年9月26日) 昭和25年9月27日の岩手日報より。 GHQ東北民事部のオースチン教育課長が、岩手県内の敎育状況視察の為に9月26日に盛岡に来て県教育長や教育委員と懇談した。 その席上、以下のようなことを述べた。 11月に予定されている教育委員の選挙は、組合色の強い教員の立候補はよくない。PTAが中心に政治色の無い… 続きを読む
l全県 2 7月 1950 ハエ取り週間で伝染病を予防しましょう!(昭和25年7月2日) 昭和25年7月2日の岩手新報より。 岩手県の衛生当局ではハエ取り週間を設け伝染病の予防にこれ努めている。 … 続きを読む
l全県 15 2月 1950 進駐軍岩手民政部により導入された週休2日制はどうなった?(S25.2.15新岩手日報) 進駐軍の岩手民政部長官により、岩手県内の学校は週休2日制が導入されたようだ。 で、どんな経過を辿ったかという記事。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 2月 1950 岩手通商「当社直営デパートを開店しララ物資やユニセフ物資を大売出し!」(昭和25年2月12日) 昭和25年2月12日の新岩手日報より。 岩手通商では、直営の「第一デパート」を盛岡市大通に開店し、ララ物資やユニセフ物資を取り扱うことにしたという。 ちなみに、倉庫のある「紙町」と言うのは、現在の上ノ橋の近くであるという。 &nb… 続きを読む