d宮古・下閉伊郡 26 4月 1961 宮古で消防団のポンプ車が出動したが、酔っ払い運転で横転し5人負傷(昭和36年4月26日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 この4月26日に日付が変わった0:50頃のこと。 宮古の鍬ケ崎で火事が発生した。 そこで、消防団のポンプ車が出動することになったが、なにしろ深夜なので消防団員は既に晩酌で酔って寝ている。 心地よい眠りを起こされて出動させられたのだ。 酔っ払い運転にはなるが、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1961 釜石のタクシーの不審な女客(昭和36年3月1日) 昭和36年3月2日の岩手東海新聞より。 3月1日の夜、釜石市大町のバー「白樺」から女給を乗せた西円タクシーは、指示されるままに大平の出光興産油送桟橋のところまで車を走らせた。 天神町に住んでいる24歳のその女給は降りる際、「さようなら」「同僚に私の写真を実家に送ってくれるように頼んでください」などと… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1 3月 1961 宮古の漁船が小笠原諸島・父島に緊急入域(S36.3.1岩手東海新聞) 硫黄島沖で操業していたものが船員の怪我で急遽父島に入れて欲しいと。 ちなみに、当時は小笠原諸島はアメリカ占領下。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 1月 1961 釜石市営火葬場で待合室難(昭和36年1月12日) 昭和36年1月12日の岩手東海新聞より。 釜石市大只越にある釜石市火葬場では、火葬の際の会葬者が多くなっており、3件、4件と火葬があった場合、待合室が非常に混雑している。 この時代を重く見た釜石市衛生課では、会葬者をある程度限定してもらうことを市民に呼びかける一方で、待合室を区切る計画を進めている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1961 鉄の町・釜石の空気中の塵を電流で調査する新兵器(昭和36年1月7日) 昭和36年1月7日の岩手東海新聞より。 鉄の都・釜石市では、交流式電気集塵機を購入した。 この集塵機によって、浮遊煤塵の調査を行うのだと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 1月 1961 昭和園グランドで釜石の消防出初式(昭和36年1月6日) 昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 釜石市の消防勤め式は、釜石消防署、釜石消防団の自動車23台、団員490名が参加して釜石市中島の昭和園グランドで行われた。 五葉おろしが吹き、まだ雪が残っている昭和園グランドに、ラッパの合図と共に集合し、4列横隊に整列した。 そして、人員報告の後消防統監が、「こ… 続きを読む
事件・犯罪・司法 12 10月 1960 【参考】社会党浅沼稲次郎委員長刺殺事件(昭和35年10月12日) 日比谷公会堂で右翼少年に刺される。 https://youtu.be/J1nntK2HnfU… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 9月 1960 釜石市長が訪欧に旅立つ(S35.9.21岩手東海新聞) イスラエルのテルアビブで開催されるという国際市長会議に、日本の市長代表で釜石市の鈴木東民市長が行くことになったという。 それで釜石駅で盛大にお見送り。 ディーゼルカーは準急色のキハ55だろうか。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 9月 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1960 チリ地震津波後初めての防災の日(S35.9.1岩手東海新聞) この年の5月24日、チリ地震津波が襲来。 関東大震災から37年目の「防災の日」は、津波被害を改めて考える年となった。 それで、釜石市などの防災担当者に、津波対策を聞いている。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8 7月 1960 一ノ関駅の改修計画(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一ノ関駅には改修計画があり、国鉄側から設計図は出ていたが地元側の敷地計画が未完成という状況だった。 ちなみに一ノ関駅の駅舎は、この記事から10年後の昭和45年に完成している。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8 7月 1960 一関二高でアンケート「岸内閣を支持するか」(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一関二高で「岸内閣を支持するか」アンケートをとったところ、「支持しない」が上回った模様。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 2 5月 1960 山田町合併5周年(昭和35年5月1日) 昭和35年5月1日の岩手東海新聞より。 山田町は昭和30年に昭和の大合併で山田町・織笠村・大沢村・船越村・豊間根村の1町4村を合併して発足した。 それで、5月1〜3日に祝賀会が開催された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1960 浩宮さま御生誕記念で川徳デパートでは赤ちゃん写真募集(昭和35年3月8日) 昭和35年3月8日の岩手日報より。 この年の2月23日に浩宮徳仁殿下がお生まれになった。 そこで、盛岡の川徳デパートでは赤ちゃんの生活写真を募集することにしたのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 3月 1960 火災予防週間の最終日に消防車は市内を行進(昭和35年3月6日) 昭和35年3月7日の岩手日報より。 車両火災予防週間の最終日である3月6日の9時40分、盛岡市では、全消防団に非常呼集をかけて、盛岡市内丸の岩手県公会堂前から消防車でパレードを行った。 写真は岩手県公会堂前とすぐわかる。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 3月 1960 新宮様ご誕生に県南の市町村も祝賀広告(昭和35年3月3日) 昭和35年3月3日の岩手日報より。 この年の2月23日に徳仁様が御誕生された。 これを祝福して、県南の市町村が岩手日報に広告を出したのである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 3月 1960 釜石でラジオやパトカーで愛の献血リレー(S35.3.2岩手東海新聞) 釜石で急遽輸血が必要になった人に、NHKのラジオ放送とパトカーでO型の血液を輸血したという話。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1960 盛岡で雪の中を安保反対のデモ行進(昭和35年1月14日) 昭和35年1月15日の岩手日報より。 日米安保条約改定阻止運動の岸首相渡米・調印反対の全国統一行動の1月14日午後6時から盛岡市内丸の県公会堂で行われた。 大会には、盛岡市内からだけではなく、松尾鉱山からもトラックに分乗して労働組合員150名が盛岡までやってきた。 大会は20分で終了し、公会堂から盛… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1960 岩手県警に自記式速度測定器を導入でカミナリ族を追放だ(昭和35年1月12日) 昭和35年1月13日の岩手日報より。 この時期、バイクの「カミナリ族」による事故が社会問題になっていた。 それまでもスピード違反の取り締まりはやっていたのだが、やり方としては、2点間に警察官が立ち、ストップウォッチで計測して有線電話で連絡を取り合うというものだった。 そこで、県警本部は自記式速度計を… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1960 大槌町で公営住宅工事進む(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 大槌町蟇川原の公営住宅の工事が進んでいるという。 というか蟇川原ってどこ? ・・・と思ったら、大槌町第21地割という、大槌川の河口の安渡側だったようである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1960 釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 1月 1960 釜石市消防団の出初式(昭和35年1月6日) 昭和35年1月7日の岩手東海新聞より。 釜石市消防団は、釜石市中心部で出初式を行った。 写真は錦館前であるという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石・中妻地区を緑の理想都市に(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この当時、釜石駅の西側の中妻地区は、新聞の表現をそのまま借りれば「釜鉄ビル住宅、ハーモニカ長屋の間に無計画にひしめき合うスラム街」だったのだと言う。 これを、5年後には近代都市として再生させようと言う計画であった。 釜石市が都市計画区域11万坪、2億9000万… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 10年後の釜石の未来図(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 昭和35年の元旦を記念して、「10年後の釜石の理想図」と言う記事が出ている。 それを、釜石市都市計画課の23歳の職員に聞いてみたのである。 まずは、工業都市として、人口増加をどうするか、また観光客の楽しめる都市としての名を轟かせようと言うことであった。 また、工場… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 8月 1959 仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) 昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 8月 1959 山田線の浪板簡易駅は12月設置予定(昭和34年8月20日) 昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 大槌町長・大槌町議会副議長・浪板間駅期成同盟会長らは、盛岡鉄道管理局に簡易駅の設置を陳情した。 これに対して盛鉄局では、山田線のディーゼルカーは12月から運行するので、そのタイミングで設置するようにしたいと明らかにした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 8月 1959 「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日) 昭和34年8月11日の岩手東海新聞より。 釜石市教育委員会では、釜石市立図書館で定例委員会を開催した。 マンモス化している釜石一中を二分して18学級程度の中学校にする。 尾崎中学校と平田中学校を合併して新設中学校を設立する。 これに関しては、文部省からも近日技官が来て調査するということであった。 &… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 6月 1959 江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) 昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 6月 1959 人口増加する釜石では山を切り崩して住宅地に(昭和34年6月12日) 昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 製鉄所や鉱山で賑わう釜石は人口増加していたが、いかんせん平地は少なく、住宅は山でも切り崩さないと建てることはできなかったのである。 それで、釜石高校の向かいの山を切り崩して住宅を造成していた。 釜石市の住宅地は、甲子川沿いにどんどん上がっていっているようだっ… 続きを読む