d宮古・下閉伊郡 4 11月 1966 宮古駅に「乗車券センター」設置(S41.11.4岩手東海新聞) 宮古駅に電話を増設し「乗車券センター」を設置するという。 乗車券センターの電話番号は宮古422番であるという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 30 9月 1966 さよなら蒸気機関車「D62」(昭和41年9月30日) IBC「いわてアーカイブの旅」より。 「日本最大の機関車」として戦時中に活躍したD52型蒸気機関車は、あまりに重量が重いことで入れる路線が限られており、戦後になると持て余されるようになった。 そもそもD52が必要になるような輸送量の大きい路線は、とっくに電化が進んでいたからだ。 それで、昭和25年に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 4月 1966 春の異動期で釜石駅は大混雑(昭和41年4月9日) 昭和41年4月9日の岩手東海新聞より。 春の異動シーズンで,釜石駅のホームは大賑わいとなっていた。 ホームのいたるところで「お世話になりました」「お元気で」と言う風景が見られた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1966 釜石駅の移転反対運動(昭和41年3月3日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 先日、釜石駅の移転計画が明るみに出ると、地元商店街などから反対運動が起こる気運となった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 3月 1966 釜石駅を鳥ヶ沢に移転!?(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石駅には移転問題があり、貨物駅と旅客駅を分離して旅客駅を鳥ヶ沢(釜石駅から山田線方面に行く最初のトンネルの辺り)に移転する計画もあった様だ。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 3 2月 1966 横黒線に強力除雪機関車「DD14」が出動!(昭和41年2月2日) 昭和41年2月2~3日の岩手日報より。 県内有数の積雪地帯を走る横黒線では、この冬は記録的な豪雪に悩まされていた。 昭和40年12月~41年1月の間で、102本の列車が運休。 応援として盛鉄局管内の青森機関区や、秋鉄局に属する横手機関区からラッセル車を応援させていたほか、雪崩危険個所のヘリコプターに… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 12月 1965 年末年始は釜石から上野まで座って行ける「第2陸中」で!(S40.12.27岩手東海新聞) 年末年始の規制シーズン、釜石駅では盛岡鉄道管理局に、上野から直通の臨時列車を運行するようお願いしていた。 それが「第2陸中」で、1等車1両、2等車4両の5両編成であったという。 また、釜石線・山田線は自動閉塞化が進んでいたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 10月 1965 馬場検事総長が「くりこま1号」で来盛(昭和40年10月14日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 馬場義次検事総長が、東北5県の地方検察庁の視察のために、急行「くりこま1号」で盛岡に来た。 この馬場検事総長、昭和32年には売春汚職事件で検察内部の権力争いを繰り広げ、偽情報をつかませて読売の記者を自殺にまで追い込んだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 10月 1965 運行終了した釜石の「社線」の機関車が1両保存されることに(昭和40年10月13日) 昭和40年10月13日の岩手日報より。 釜石鉱山から釜石製鉄所まで、鉄鉱石を運んできたいわゆる「社線」は、今年の3月28日に運行を終了した。 これまで熱心に撤去運動を進めてきたとは言え、釜石の発展に尽くしてきた事は確かで、機関車を保存することになった。 製鉄所側もこれを了承し、1台の機関車を、釜石市… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 10月 1965 厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日) 昭和40年10月13日の岩手日報より。 盛岡駅の隣である厨川駅は、東側にしか駅舎はなく、西側に住む人は2キロ以上遠回りしなければいけなかった。 この年、都市化が進んで住宅や工場も増え、西口の需要は高まっていた。 その上、昭和45年には岩手国体も予定されており、県営陸上競技場が観武地区にできると言う時… 続きを読む
l全県 11 10月 1965 新型踏切で事故を防げ!(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 車の増加により、踏切事故も増大していた。 そのことに国鉄は悩まされていた。 そこで、赤外線による障害物検知装置や重力式遮断機を開発し、各路線に付けることになった。 赤外線による障害物検知装置は、踏切の両側から赤外線を出してそれが阻害されたら警報を出して列車に異… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 10月 1965 東北本線盛岡電化完成 昭和40年10月1日。 IBC「いわてアーカイブの旅」より。 https://www.youtube.com/watch?v=JF-ss8Wfd8E… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 7月 1965 盛鉄局各駅に釜石みなとまつりのポスター(S40.7.2岩手東海新聞) 釜石みなとまつりのポスターを東北本線・釜石線・山田線の各駅の待合室にあって、宣伝にこれ努めていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 1月 1965 釜石鉱山~釜石製鉄所の鉱石輸送は昭和40年3月に社線から国鉄に切り替え予定(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 これまで、釜石鉱山から釜石製鉄所に運ぶ鉄鉱石は、国鉄の陸中大橋駅付近から釜石駅前の製鉄所まで、国鉄と並行して「社線」という専用線で輸送していた。 この「社線」、釜石市内の小佐野や甲子といった市街地の道路の真ん中を走っていたので、自動車が増えるにつれ邪魔でしょうが… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 12月 1964 盛岡機関区に双頭除雪車「DD15」がやってきた!(昭和39年12月23日) 昭和39年12月23日の岩手日報より。 東北では秋田鉄道管理局管内にしかなかった「DD15」という双頭型の除雪機関車が盛岡機関区と青森機関区にも配置されることになった。 盛岡機関区に配置される分は、山田線と橋場線の除雪に活躍することとなる。 春になって除雪の必要がなくなったら、雪かき機を取り外してデ… 続きを読む
m県外・参考 21 12月 1964 年末年始は上野から臨時列車を増発しますよ!(昭和39年12月21日) 昭和39年12月21日の岩手日報より。 上野駅では臨時列車の時刻表が貼りだされる。 帰省ラッシュのこの時期、国鉄では「年末旅客輸送体制」と位置づけ、臨時列車を増発していた。 岩手方面には12月27日から「臨時みちのく」など急行8本、準急3本の増発の予定だった。 上野駅では以下のような対策を行うという… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1964 特急「つばさ」は盛岡~仙台で自由席ができます! 昭和39年12月21日の岩手日報より。 昭和36年の「サンロクトオ」ダイヤ改正で上野~秋田に登場した特急「つばさ」は、昭和38年10月1日の改正で、盛岡編成も登場した。 これは「はつかり」の盛岡以南での混雑を解消するためである。 つまりキハ181系は盛岡にも来ていたということになる。 ダイヤとしては… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 12月 1964 盛鉄局「年末年始の帰省は臨時列車が空いてますよ!着席券も発売しますよ!」(昭和39年12月16日) 昭和39年12月16日の岩手日報より。 盛鉄局はすでに年末年始のダイヤを発表しており、臨時列車の利用を呼び掛けていた。 旅行者が案外臨時列車の存在を知らないために定期列車ばかり混んでいるということを憂慮していた。 また、盛鉄局管内では1枚50円で「着席券」を販売することとした。 着席券を販売する列車… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2 11月 1964 花巻で踏切報知機にいたずらする列車妨害が相次ぐ(昭和39年11月2日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 この時期、東北本線の花巻~村崎野間で列車妨害が相次いでいたという。 昭和38年10月25日以来、コンクリートトラフや鉄道標識が抜かれて線路にばらまかれるなどの悪質な列車妨害が13件続いていたという。 昭和39年11月1日には、下り197貨物列車が花巻市南城地内で… 続きを読む
備考※1 1 10月 1964 【参考】東海道新幹線開業 昭和39年10月1日、「夢の超特急」東海道新幹線が開業。 https://www.youtube.com/watch?v=SKSLnIDHvBQ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 9月 1964 釜石から東海製鉄に2300人が転出(s39.9.5岩手東海新聞) この時期、釜石から東海製鉄への転出が相次いでいた。 この時は2300人だったという。 これが釜石の「終わりの始まり」。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 9月 1964 釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) 釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 6月 1964 夏休みは「はやちね」が盛岡〜宮古〜釜石〜盛岡の循環運転(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、夏休みに備えて7月中旬から臨時列車を運転する。 釜石に関わるものでは、釜石と鵜住居の間の「さざなみ」を2往復運転する。 また、循環急行「はやちね」を初めて運転するが、盛岡〜宮古〜釜石〜花巻〜盛岡の時計周りで、1周6時間半となり、期間は7月25… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 14 11月 1963 特急「つばさ」新設により「はつかり」は一関を通過します(昭和38年11月14日) 昭和38年11月14日の岩手報知より。 12月5日から、上野から盛岡に「つばさ」が運行される予定であった。 より正確に言うと、上野からの特急列車が半分は秋田へ行き、半分は盛岡へ来ると言うことであった。 ともあれ、このダイヤは上りが一ノ関発が10時22分、上野着が16時55分、下りが上野発12時30分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12 11月 1963 鶴見事故の犠牲となった釜石出身の学生が悲しき帰郷(昭和38年11月12日) 昭和38年11月12日の岩手東海新聞より。 11月9日の夜に発生した、横須賀線の鶴見事故では161人の犠牲者が出た。 その中には、釜石市出身の学生もいた。 釜石市内のお寺の住職の息子で、横浜市内に下宿しながら立正大学の夜間部に通っていた大学生が事故に巻き込まれたのである。 その遺骨は、11月12日1… 続きを読む
i一関・西磐井郡 18 9月 1963 一ノ関駅に雨量警報機を新設(昭和38年9月18日) 昭和38年9月18日の岩手報知より。 国鉄一ノ関管理所では、台風シーズンに備え一ノ関駅に自動雨量警報機を設置したと言う。 これは、ある一定の雨量に達すると警報が鳴り出して、付近を走る列車は時速25キロ以下で検索して危険を防止しようと言うものである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 9月 1963 急行列車の愛称名が簡素化されます(昭和38年9月9日) 昭和38年9月9日の岩手報知より。 国鉄一関管理所は、東北支社で急行の愛称に使われている名前を10月から簡素化するという。 急行は「第一」「第二」、準急は「1号」「2号」で区別するという。 上野行 常磐線経由:十和田 東北本線経由:おいらせ、八甲田 奥羽本線経由:つがる 盛岡行 いわて 宮古行 陸中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1963 盛岡鉄道公安室が急行「おいらせ」車内の無法者を下車させる(昭和38年4月5日) 昭和38年4月7日の岩手日報より。 この時期、列車内での暴力が問題に乗っていた。 4月5日の7時過ぎ、上野行きの急行「おいらせ」の車内で、車内が満員であるにもかかわらず座席を広く占有して、他の曲に注意されても聞き入れないで眠ったふりをしていた酔っ払いの東京都内の工員を、盛岡駅到着と同時に、盛岡鉄道公… 続きを読む