e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1963 いろいろと使い道の多い釜石小学校旧校舎(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石小学校は、昭和37年度に新しい校舎に移ったが、その後も釜石一中から独立した大平中学校の新校舎が完成するまで仮校舎として入居したり、県の合同庁舎新築に際して仮庁舎として使用されたりと言う経緯があった。 さぁこれから特別教室兼屋内体育館として旧校舎の跡地に建設… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 6 4月 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
m県外・参考 29 3月 1963 国立高専は入学取消が続出 昭和38年3月29日の岩手日報より。 昭和36年から「高等専門学校」という制度が始まり、この時点で全国に24校の国立高専が開校していた。 これは技術者不足の解消を目的として全国に開校したもので、各都市で誘致合戦が繰り広げられていた。 ちなみに一関高専は昭和39年の開校なので、この時点ではまだなく、最… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 2月 1963 岩谷堂農業高校の校章は福岡県の高校教諭のデザイン(S38.2.26岩手民声新聞) 江刺市の岩谷堂農業高校の校章は、福岡県飯塚市の高校教諭のデザインであったという。 そのほか色々なニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 11月 1962 大槌中学校でサンマの缶詰実習(S37.11.2河北新報岩手版) 大槌中学校は産業教育が盛んだったようで、フォークリフトの運転やら何やらやっていたようだが、その一環としてサンマの缶詰実習と。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 9月 1962 釜石小学校で運動会(昭和37年9月30日) 昭和37年10月1日の岩手東海新聞より。 釜石小学校で運動会があったという。 個人的な体験で言うと、釜石小学校の校舎というと、国道45号線の鳥谷坂トンネルに入る直前にある古めかしい鉄筋校舎のイメージがあったが、昭和37年頃の建築ということは、それほど古くもなかったようだ。 鉄サッシが古めかしく見えた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 7月 1962 釜石ユネスコ協会で英会話教室(S37.7.4岩手東海新聞) 釜石ユネスコ協会では、市内の教会で英会話教室を行った。 人気は上々であったと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 7月 1962 大槌川と小鎚川に簡易プールを設置(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 大槌小学校や大槌中学校では、水泳の授業のために近くの大槌川や小鎚川に簡易プールを設置することを要求していた。 それが設置される見込みとなったのだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7 6月 1962 花巻のDQN中学生3人組が水沢駅前で前で御用(昭和37年6月7日) 昭和37年6月9日の胆江日日新聞より。 花巻のDQN中学生3人組が、花巻市内の雑貨店や、北上の黒沢尻東小学校に侵入して盗みを働き、その金でタクシーで水沢まで来たところ、水沢駅前交番の警察官に御用になったのだという。 終戦から17年が経過していたが「アプレ」という言い方は健在だったようだ。  … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 6月 1962 水沢で中学生が「死の社会科見学」(昭和37年6月7日) 昭和37年6月8日の胆江日日新聞より。 水沢の姉体中学校の生徒が、市内で社会科見学をしていたら、車にはねられて亡くなったという。 ちなみにこの姉体中学校が真城中学校や黒石中学校と合併して水沢南中学校になるのは、昭和44年のこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1962 釜石市内から東海製鉄関係で転出する小中学生は456人(昭和39年2月7日) 昭和39年2月7日の岩手東海新聞より。 東海製鉄所が開業するに際し、釜石市内からお多くの小中学生が転校することとなった。 その数は456人にも登ったという。 … 続きを読む
l全県 8 1月 1962 4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日) 昭和37年1月8日の岩手日報より。 へき地の学校は人数が少なすぎて。2学年以上の児童・生徒を1人の教員が教える「複式学級」がかなり存在した。 岩手県の場合はこの時点で以下の通りだった。 小学校(599学級) 2学年受け持ち・・・396 3学年以上受け持ち・・・177 全学年受け持ち・・・26 中学校… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1962 紫波高校農業科が酒蔵に泊まり込みで酒づくりの実習(昭和37年1月6日) 昭和37年1月8日の岩手日報より。 紫波高校農業科の農産加工選択の生徒15人が、1月6日~12日に町内の酒蔵に泊まり込んで酒造りの実習をするという。 紫波郡一帯は「南部杜氏」の本場といわれていた。 このような実習は県内では唯一であるということだった。 ちなみに紫波高校の農業科は平成16… 続きを読む
l全県 5 1月 1962 中学浪人の絶滅目指して岩教祖が高校全入運動(昭和37年1月5日) 昭和37年1月5日の岩手日報より。 この当時…というか平成になっても続いていたのだが、高校入試で「中学浪人」が問題になっていた。 それで、高校全入運動を岩教祖が展開することになった。 ちなみに、岩手中央ゼミナールから「高校受験科」が廃止されるのは、平成20年(2008年)のことであった。  … 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1961 学力テスト拒否で岩手県教組九戸支部の役員数名が逮捕され抗議集会(昭和36年12月6日) 昭和36年12月7日のデーリー東北より。 この時期、岩手県教員組合(岩教組)では学力テストを拒否闘争、いわゆる「学テ闘争」を展開していた。 これを、地方公務員法違反として捜査していた岩手県警本部は、12月6日の午前7時に、宮古警察署などを動員して、学テを拒否した宮古支部長や九戸支部長など12名を逮捕… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1961 種市町では近く中学校が統合するが…(昭和36年12月6日) 昭和36年12月6日のデーリー東北より。 種市町内の種市中学校、角ノ浜中学校、平内中学校を統合する話は、昭和32年から持ち上がっていた。 しかし、角の浜、平内の角学では、経済的負担が重くなるので反対しており実現できなかった。 ところが、その頃入学生等が増加し、学校修繕費がかかり、収容が困難でどうして… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4 12月 1961 じぇじぇじぇ!高校の潜水科の設備充実してけろ!(昭和36年12月4日) 昭和36年12月4日のデーリー東北より。 種市町は、久慈高校種市分校潜水科の施設の充実に力を注いでいたが、なにぶんにも町だけの予算では難しいので、町や学校や潜水協会などの関係機関が一丸となって県議会に予算の増額を陳情することになった。 久慈高校種市分校に潜水科ができたのは、昭和27年のことであり、町… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 江刺・赤金鉱山の住民「小学校の学区をバスの本数の多い方にして欲しい」(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 江刺市伊手の奥には同和鉱業赤金鉱山があった。 この赤金地区の児童90人は、4km離れた上伊手小学校に通っていたのだが、その上伊手に行くバスは1日6回しかないのだという。 しかし、5km離れた伊手小学校であればバスの便は33本あるので、こちらの方が通いやすい… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 27 11月 1961 水沢一高が日大の準付属に(昭和36年11月27日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 水沢にある私立校・水沢第一高校が昭和37年度から日本大学の準付属校になるという。 純然たる付属校になるためには、経営陣自体が日大から来なければいけないらしい。 それで、経営陣はあくまで地元からということで準付属校になることになったのだという。 日大への進学… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 21 11月 1961 前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 この時期、岩手県内では「学力テスト問題」で揺れていた。 その「学テ問題に関する公聴会」を11月19日に水沢商業高校で開いていたときのこと。 岩教組の書記長が盛岡から来て「求人難にあえぐ商業界のために、高校は優秀な人しか行かせないことにしたようだ。それで県内… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10 11月 1961 全国学力テスト阻止闘争で岩教祖胆沢支部ではついに警察対策(昭和36年11月10日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 岩教祖は日教組の支部の中でもかなり戦闘的な組合として知られる。 昭和30年代は全国学力テスト阻止闘争で、地方公務員の争議件を争点に紛争を繰り広げ話題を呼んでいた時期である。 この10月26日にも、学テ阻止闘争で地方公務員法違反で組合幹部が家宅捜索を受けてい… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 11月 1961 「岩高」といえば盛岡では岩手高校、胆江では岩谷堂高校(昭和36年11月1日) 昭和36年11月1日の胆江日日新聞より。 見出しは「岩高文化祭 三日多彩に」とある。 ここでいう「岩高」とは、江刺にある岩谷堂高校のこと。 決して盛岡にある岩手高校のことではない。 ともあれ、内容としては以下の通りだったようである。 農業部会場 (3日~5日)郵趣展、幻灯会、茶の湯、被服食物館、演劇… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 7月 1961 内陸から釜石に海浜学校続々(S36.7.26岩手東海新聞) 内陸の小学校から釜石などに臨海学校に来るのは恒例だったようで、この記事では北上市立二子小学校の6年生120人。大迫町立内川目小学校60人が来ていたようだ。 ちなみに、内川目小学校は2021年の閉校時の全校児童は14名であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む