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釜石小学校で運動会(昭和37年9月30日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石小学校で運動会(昭和37年9月30日)

昭和37年10月1日の岩手東海新聞より。 釜石小学校で運動会があったという。 個人的な体験で言うと、釜石小学校の校舎というと、国道45号線の鳥谷坂トンネルに入る直前にある古めかしい鉄筋校舎のイメージがあったが、昭和37年頃の建築ということは、それほど古くもなかったようだ。 鉄サッシが古めかしく見えた…
花巻のDQN中学生3人組が水沢駅前で前で御用(昭和37年6月7日) f花巻・稗貫郡

花巻のDQN中学生3人組が水沢駅前で前で御用(昭和37年6月7日)

昭和37年6月9日の胆江日日新聞より。 花巻のDQN中学生3人組が、花巻市内の雑貨店や、北上の黒沢尻東小学校に侵入して盗みを働き、その金でタクシーで水沢まで来たところ、水沢駅前交番の警察官に御用になったのだという。 終戦から17年が経過していたが「アプレ」という言い方は健在だったようだ。  …
4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日) l全県

4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日)

昭和37年1月8日の岩手日報より。 へき地の学校は人数が少なすぎて。2学年以上の児童・生徒を1人の教員が教える「複式学級」がかなり存在した。 岩手県の場合はこの時点で以下の通りだった。 小学校(599学級) 2学年受け持ち・・・396 3学年以上受け持ち・・・177 全学年受け持ち・・・26 中学校…
紫波高校農業科が酒蔵に泊まり込みで酒づくりの実習(昭和37年1月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

紫波高校農業科が酒蔵に泊まり込みで酒づくりの実習(昭和37年1月6日)

昭和37年1月8日の岩手日報より。 紫波高校農業科の農産加工選択の生徒15人が、1月6日~12日に町内の酒蔵に泊まり込んで酒造りの実習をするという。 紫波郡一帯は「南部杜氏」の本場といわれていた。 このような実習は県内では唯一であるということだった。   ちなみに紫波高校の農業科は平成16…
中学浪人の絶滅目指して岩教祖が高校全入運動(昭和37年1月5日) l全県

中学浪人の絶滅目指して岩教祖が高校全入運動(昭和37年1月5日)

昭和37年1月5日の岩手日報より。 この当時…というか平成になっても続いていたのだが、高校入試で「中学浪人」が問題になっていた。 それで、高校全入運動を岩教祖が展開することになった。 ちなみに、岩手中央ゼミナールから「高校受験科」が廃止されるのは、平成20年(2008年)のことであった。  …
学力テスト拒否で岩手県教組九戸支部の役員数名が逮捕され抗議集会(昭和36年12月6日) c久慈・九戸郡

学力テスト拒否で岩手県教組九戸支部の役員数名が逮捕され抗議集会(昭和36年12月6日)

昭和36年12月7日のデーリー東北より。 この時期、岩手県教員組合(岩教組)では学力テストを拒否闘争、いわゆる「学テ闘争」を展開していた。 これを、地方公務員法違反として捜査していた岩手県警本部は、12月6日の午前7時に、宮古警察署などを動員して、学テを拒否した宮古支部長や九戸支部長など12名を逮捕…
種市町では近く中学校が統合するが…(昭和36年12月6日) c久慈・九戸郡

種市町では近く中学校が統合するが…(昭和36年12月6日)

昭和36年12月6日のデーリー東北より。 種市町内の種市中学校、角ノ浜中学校、平内中学校を統合する話は、昭和32年から持ち上がっていた。 しかし、角の浜、平内の角学では、経済的負担が重くなるので反対しており実現できなかった。 ところが、その頃入学生等が増加し、学校修繕費がかかり、収容が困難でどうして…
じぇじぇじぇ!高校の潜水科の設備充実してけろ!(昭和36年12月4日) c久慈・九戸郡

じぇじぇじぇ!高校の潜水科の設備充実してけろ!(昭和36年12月4日)

昭和36年12月4日のデーリー東北より。 種市町は、久慈高校種市分校潜水科の施設の充実に力を注いでいたが、なにぶんにも町だけの予算では難しいので、町や学校や潜水協会などの関係機関が一丸となって県議会に予算の増額を陳情することになった。 久慈高校種市分校に潜水科ができたのは、昭和27年のことであり、町…
江刺・赤金鉱山の住民「小学校の学区をバスの本数の多い方にして欲しい」(昭和36年11月27日) h水沢・江刺・胆沢郡

江刺・赤金鉱山の住民「小学校の学区をバスの本数の多い方にして欲しい」(昭和36年11月27日)

昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 江刺市伊手の奥には同和鉱業赤金鉱山があった。 この赤金地区の児童90人は、4km離れた上伊手小学校に通っていたのだが、その上伊手に行くバスは1日6回しかないのだという。 しかし、5km離れた伊手小学校であればバスの便は33本あるので、こちらの方が通いやすい…
水沢一高が日大の準付属に(昭和36年11月27日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢一高が日大の準付属に(昭和36年11月27日)

昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 水沢にある私立校・水沢第一高校が昭和37年度から日本大学の準付属校になるという。 純然たる付属校になるためには、経営陣自体が日大から来なければいけないらしい。 それで、経営陣はあくまで地元からということで準付属校になることになったのだという。 日大への進学…
前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日) h水沢・江刺・胆沢郡

前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日)

昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 この時期、岩手県内では「学力テスト問題」で揺れていた。 その「学テ問題に関する公聴会」を11月19日に水沢商業高校で開いていたときのこと。 岩教組の書記長が盛岡から来て「求人難にあえぐ商業界のために、高校は優秀な人しか行かせないことにしたようだ。それで県内…
全国学力テスト阻止闘争で岩教祖胆沢支部ではついに警察対策(昭和36年11月10日) h水沢・江刺・胆沢郡

全国学力テスト阻止闘争で岩教祖胆沢支部ではついに警察対策(昭和36年11月10日)

昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 岩教祖は日教組の支部の中でもかなり戦闘的な組合として知られる。 昭和30年代は全国学力テスト阻止闘争で、地方公務員の争議件を争点に紛争を繰り広げ話題を呼んでいた時期である。 この10月26日にも、学テ阻止闘争で地方公務員法違反で組合幹部が家宅捜索を受けてい…
「岩高」といえば盛岡では岩手高校、胆江では岩谷堂高校(昭和36年11月1日) h水沢・江刺・胆沢郡

「岩高」といえば盛岡では岩手高校、胆江では岩谷堂高校(昭和36年11月1日)

昭和36年11月1日の胆江日日新聞より。 見出しは「岩高文化祭 三日多彩に」とある。 ここでいう「岩高」とは、江刺にある岩谷堂高校のこと。 決して盛岡にある岩手高校のことではない。 ともあれ、内容としては以下の通りだったようである。 農業部会場 (3日~5日)郵趣展、幻灯会、茶の湯、被服食物館、演劇…
大渡小学校で釜石で初めての集団登校(昭和36年7月24日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大渡小学校で釜石で初めての集団登校(昭和36年7月24日)

昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡小学校の鈴子地区(釜石駅周辺)で。釜石で初めてとなる「集団登校」を始めることにしたという。 問題となっていたのは鈴子地区から釜石駅に行くのに必ず大渡橋を通らないといけないということであるが、これが釜石で一番交通量の多い場所であるということであった…
「通学路のない学校」釜石・八雲小学校で(昭和36年4月29日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「通学路のない学校」釜石・八雲小学校で(昭和36年4月29日)

昭和36年4月29日の岩手東海新聞より。 釜石の八雲小学校は「通学路のない学校」と言われていた。 雨が降ると学校の裏の下水があふれだし、学校の前に汚水があふれるという非常に不衛生な状態となっていた。 そこで、八雲小学校の父兄が通学路となる道に土俵を並べて通学路とすることにした。 釜石市でも中妻地区の…
釜石高校の大学志願状況(昭和36年1月13日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石高校の大学志願状況(昭和36年1月13日)

昭和36年1月13日の岩手東海新聞より。 今年の3月に釜石高校を卒業する見込みの335名(男子153名、女性182名)の中から、進学希望状況をまとめた。 大学進学を希望する生徒が、全体の34%を占める124名に達した。 最も多いのが岩手大学で、学芸部9名、工学部6名の15名。 その他は以下の通り。 …