c久慈・九戸郡 10月 11日 1965 九戸郡のへき地の小学生「書道展で入賞したのに旅費が無くて表彰式に行けない🥺」そこへ…(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 駒澤大学が主催し文部省が後援した「第2回全国学生書道展」の特別賞に、山形村立来内小中学校の2人が選ばれた。 ・・・が、そこは県北のへき地の村のこと。 旅費も無ければ晴れの席に来ていく服も無い。 それで、涙を呑んで表彰式への出席は断念することにした。 ・・・とい… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1965 盛岡でテレビ授業に1000人が参加(昭和40年10月8日) 昭和40年10月8日の岩手日報より。 10月8日から2日間の日程で、盛岡市を会場に「第16回放送教育研究会東北大会」が行われた。 この大会が岩手県内で行われたのは3度目であるという。 初日は岩大附属小学校・桜城小学校・城西中学校・盛岡二高・東北銀行ホールの5か所で、県内外から1000人が集まって公開… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10月 6日 1965 安代町・花輪鉱山小で季節はずれのプール開き(昭和40年10月6日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 安代町の花輪鉱山小学校では、待望のプールが完成し、季節外れのプール開きが行われた。 さすがに岩手県北の10月なので、を読む人はいなかったようだが、地域住民の喜びはひとしおだったようである。 また、記事全体がですます調になっているが、それは子供向けの記事だから。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 岩手県内の小学1年生は2万8千人(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この年の岩手県内の小学1年生は、2万8千人であったという。 ちなみに、令和4年(2022年)の岩手県内の小学1年生は、8,464人であるという。(岩手県教育統計より) ちなみに写真は盛岡の中野小学校。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 6日 1964 釜石南高校の新校舎落成式(昭和39年6月6日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 かねて松倉に建築中だった釜石南高校の校舎は、6月6日に落成式が行われることとなった。 校庭は41,910平方メートル、鉄筋コンクリートで一部5階の校舎となっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 6日 1964 釜石南高校が甲子に新築移転(昭和39年2月6日) 昭和39年2月6日の岩手東海新聞より。 釜石南高校は、創立当初からの校舎を使用していたが、昭和37年に鵜住居に釜石北高校が独立したこともあり、新校舎を建設している最中であった。 そして、2月17日に移転することが決まったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 4日 1964 東海製鉄への転出対策に名古屋から中学教師が来釜(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石は東海製鉄への転出対策に揺れていたが、教育問題もあり、名古屋から教師を呼んで打ち合わせもするようになっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 3日 1964 吉里吉里中学校に特別教室完成(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 大槌町の吉里吉里中学校に特別教室棟が完成したという。 また、非常階段も設置されたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 15日 1964 大槌小学校では廃品回収で修学旅行資金を稼ぐ(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 大槌小学校では廃品回収で修学旅行を稼ぎ、1人の欠席者も出さないと意気込んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1964 釜石にも近代校舎を!(S39.1.1岩手東海新聞) 昭和39年を迎え、釜石の教育界も夢を語っている。 特に、老朽化した校舎の新築が急がれていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 大槌小学校開校90年式典(S38.11.4岩手東海新聞) 大槌町の大槌小学校は、明治6年(1873年)に開校したが、この年に開校90周年を迎え、講堂で開校式典が行われた。 ちなみにこの講堂は、個人的にも経験がある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 遠野・琴畑分校に電気が灯る(S38.11.4岩手東海新聞) 遠野の土淵の方で最も僻地であった琴畑地区に、電気が灯ることになった。 それで、土淵第二小学校琴畑分校でも大喜び。 ちなみに、この琴畑分校は昭和48年に閉校している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1963 釜石商業高校で創立30周年行事(昭和38年11月2日) 昭和38年11月2日の岩手東海新聞より。 釜石商業高校では、創立30周年記念行事が開催された。 釜石市内で最も古い中等教育機関であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1963 釜石・鵜住居中学校にゴミ焼却炉(昭和38年11月1日) 昭和38年11月1日の岩手東海新聞より。 釜石市立鵜住居中学校にはこの当時、427人の生徒がいたようである。 まだ釜石東中学校が発足する前で、鵜住居中学校と栗林中学校は別々の学校だった。 その鵜住居中学校では、ゴミはうらの川に焼き捨てていたのだと言う。 しかし、それでは環境の点から好ましくないと言う… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 7日 1963 岩谷堂公民館で婦人学級「意思の弱い子を如何して強くするか」(昭和38年9月7日) 昭和38年9月5日の岩手民声新聞より。 来る9月7日は、岩谷堂公民館で婦人学級「意思の弱い子を如何して強くするか」についての講演会を行う。 講師は以下の通り。 江刺保険所長 岩谷堂幼稚園教諭 岩谷堂小学校教諭 江刺第一中学校教諭 岩谷堂高校教諭 ・・・というか、そんな方法があるなら自分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1963 遠野高校農業科校舎が落成(S38.9.5岩手東海新聞) 遠野高校農業科の校舎が落成した。 遠野農業高校(現:遠野緑峰高校)として独立するのは翌昭和39年のこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1963 いろいろと使い道の多い釜石小学校旧校舎(昭和38年9月3日) 昭和38年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石小学校は、昭和37年度に新しい校舎に移ったが、その後も釜石一中から独立した大平中学校の新校舎が完成するまで仮校舎として入居したり、県の合同庁舎新築に際して仮庁舎として使用されたりと言う経緯があった。 さぁこれから特別教室兼屋内体育館として旧校舎の跡地に建設… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 6日 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
m県外・参考 3月 29日 1963 国立高専は入学取消が続出 昭和38年3月29日の岩手日報より。 昭和36年から「高等専門学校」という制度が始まり、この時点で全国に24校の国立高専が開校していた。 これは技術者不足の解消を目的として全国に開校したもので、各都市で誘致合戦が繰り広げられていた。 ちなみに一関高専は昭和39年の開校なので、この時点ではまだなく、最… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 26日 1963 岩谷堂農業高校の校章は福岡県の高校教諭のデザイン(S38.2.26岩手民声新聞) 江刺市の岩谷堂農業高校の校章は、福岡県飯塚市の高校教諭のデザインであったという。 そのほか色々なニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 30日 1962 釜石小学校で運動会(昭和37年9月30日) 昭和37年10月1日の岩手東海新聞より。 釜石小学校で運動会があったという。 個人的な体験で言うと、釜石小学校の校舎というと、国道45号線の鳥谷坂トンネルに入る直前にある古めかしい鉄筋校舎のイメージがあったが、昭和37年頃の建築ということは、それほど古くもなかったようだ。 鉄サッシが古めかしく見えた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1962 釜石ユネスコ協会で英会話教室(S37.7.4岩手東海新聞) 釜石ユネスコ協会では、市内の教会で英会話教室を行った。 人気は上々であったと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 4日 1962 大槌川と小鎚川に簡易プールを設置(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 大槌小学校や大槌中学校では、水泳の授業のために近くの大槌川や小鎚川に簡易プールを設置することを要求していた。 それが設置される見込みとなったのだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 6月 7日 1962 花巻のDQN中学生3人組が水沢駅前で前で御用(昭和37年6月7日) 昭和37年6月9日の胆江日日新聞より。 花巻のDQN中学生3人組が、花巻市内の雑貨店や、北上の黒沢尻東小学校に侵入して盗みを働き、その金でタクシーで水沢まで来たところ、水沢駅前交番の警察官に御用になったのだという。 終戦から17年が経過していたが「アプレ」という言い方は健在だったようだ。  … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6月 7日 1962 水沢で中学生が「死の社会科見学」(昭和37年6月7日) 昭和37年6月8日の胆江日日新聞より。 水沢の姉体中学校の生徒が、市内で社会科見学をしていたら、車にはねられて亡くなったという。 ちなみにこの姉体中学校が真城中学校や黒石中学校と合併して水沢南中学校になるのは、昭和44年のこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 7日 1962 釜石市内から東海製鉄関係で転出する小中学生は456人(昭和39年2月7日) 昭和39年2月7日の岩手東海新聞より。 東海製鉄所が開業するに際し、釜石市内からお多くの小中学生が転校することとなった。 その数は456人にも登ったという。 … 続きを読む
l全県 1月 8日 1962 4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日) 昭和37年1月8日の岩手日報より。 へき地の学校は人数が少なすぎて。2学年以上の児童・生徒を1人の教員が教える「複式学級」がかなり存在した。 岩手県の場合はこの時点で以下の通りだった。 小学校(599学級) 2学年受け持ち・・・396 3学年以上受け持ち・・・177 全学年受け持ち・・・26 中学校… 続きを読む