e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1961 釜石製鉄所各部局から新年のご挨拶(昭和36年1月1日) 昭和36年元旦の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所各部局から新年のご挨拶。 所長は常務取締役であり、これだけの部課があった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 28日 1960 釜石ロータリークラブが第3母子寮にテレビを寄贈(昭和35年12月28日) 昭和36年1月6日の岩手東海新聞より。 釜石ロータリークラブでは、釜石市野田にある第三母子寮に14インチのテレビを贈ったのだと言う。 テレビを玄関脇に備え付け、大人の時間と子供の時間に分けて放映していると言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 22日 1960 ポリオ禍は釜石にも(S35.9.22岩手東海新聞) 昭和35年は全国的にポリオで子供たちが苦しんだ年であった。 釜石でもその惨状を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1960 バクダン作りのおじさん(昭和35年9月7日) 昭和35年9月7日の岩手東海新聞より。 この時期、「残暑風物」と言うシリーズものの写真記事を掲載していたようである。 今回は、「バクダン」作りのおじさん。 バクダンというのは「ポンせんべい」のことである。 このバクダン作り、子供たちにとっては、一種の「見もの」だったようである。 爆発音とともに白い煙… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 東北電力釜石営業所の休電日(昭和35年9月9日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 東北電力釜石営業所によれば、9月の休電日は以下の通り。 9月9日 9時〜16時:五ノ橋以西、中妻、小川、小佐野、嬉石、松原、平田、唐丹 また、9月23日の定期休電日は取りやめの予定であると言う。 そして、この時に限り街方(釜石市中心部)の休電日はないと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 残暑を告げる釜石の花売り(昭和35年9月6日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石も既に残暑となっていた。 この写真記事では「夜が虫屋なら昼は花売り」と言っている。 夏から秋にかけては、ソテツやオモトがよく売れるのだとか。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1960 釜石市只越町「らばうる」(昭和35年9月5日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 広告欄に「喫茶とお食事 らばうる」という広告が出ている。 個人的には、子供の頃(昭和50年代後半)「らばうる」と言えば橋上市場にあり、ミニカーなどおもちゃが売っていた記憶がある。 そして食堂の機能も確かにあったような気がする。 それと同じ店かどう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1960 釜石の編物人形教室は生徒募集中(昭和35年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 広告欄では、釜石市大只越町の編物人形教室が生徒さん募集の広告を出している。 そういえば釜石の青葉通りの近くに「明峰幼稚園」というのがあったのは覚えている。 たしかお寺に付属した幼稚園だった。 その明峰幼稚園であるが、釜石出身の方のブログによれば、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1960 釜石では普及度の低い「ポリライス」(昭和35年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 釜石市内で栄養強化米「ポリライス」が売り出されて1ヶ月になるという。 しかし売れ行きはさっぱりだった。 ただし、中流家庭からは人気があるようで、西釜石(小佐野とか甲子とか?)と東釜石(大渡とか只越とか?)を比べると、小佐野・中妻を含む西釜石の方が売れ行きが良い… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 2日 1960 釜石でトウキミから赤痢(昭和35年9月2日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 9月2日現在、釜石市内では赤痢患者が137名にも達していたという。 釜石市衛生課で調べたところ、記事の表現をそのまま借りれば「トウキミを食べて、消化不良を起こし、赤痢になったケースが多くなっているという。」ということであった。 ここで注目したいの… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1960 釜石かつぎ屋事情(S35.9.1岩手東海新聞) 「釜石残酷物語」としてシリーズものになっていた、釜石の下層生活の一端を物語る話。 この頃の担ぎ屋は、遠野あたりの農村地帯から来ていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 28日 1960 五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日) 昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 五葉山の大松登山口に木材運搬用のケーブルがある。 ここで釜石市松倉の若者数人が乗って遊んでいた。 そうしたら機械が故障してしまい、乗っていた2人は戻れなくなってしまったのだ。 眼下には谷川が渦を巻いて流れている。 もう飛び降りるしかない?でも命の保障は無い。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 28日 1960 一関からは宮城県本吉の大谷海岸で海水浴(昭和35年7月28日) 昭和35年7月28日の岩手報知より。 一関の小学校では、普段は陸前高田の高田松原に行くのが普通だったようだが、この年はチリ地震津波で現れてしまい、宮城県本吉の大谷海岸に行くようになったようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 5日 1960 一関一高の放火事件で夜警団が増えた結果…(昭和35年7月5日) 昭和35年7月5日の岩手報知より。 この年の6月末、一関一高が放火で焼失した。 この時点では、犯人はまだ上がっていなかったので、一関市内の各町内会では夜警団を結成して警戒して歩くことになったのである。 そうすると、各町内の夜警団が、ヤアヤアと声を交わしている風景が頻繁となったのである。 そのたびに犬… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 2日 1960 一関の販売店「石油コンロで日活・東映映画ご招待!」(昭和35年7月2日) 昭和35年7月2日の岩手報知より。 一関市内のもコンロ販売店では、石油コンロで日活・東映の映画ご招待!という広告を出していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 14日 1960 釜石のBGは初給料を何に使う?(S35.5.14岩手東海新聞) 釜石のBG(昔はOLをそう呼んだ)は初任給を何に使ったか?という話。 及新百貨店の店員、東部バスのバスガイドというのが時代。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 8日 1960 浩宮さま御生誕記念で川徳デパートでは赤ちゃん写真募集(昭和35年3月8日) 昭和35年3月8日の岩手日報より。 この年の2月23日に浩宮徳仁殿下がお生まれになった。 そこで、盛岡の川徳デパートでは赤ちゃんの生活写真を募集することにしたのである。 … 続きを読む
l全県 3月 2日 1960 学校用務員に身分保証がなかった(昭和35年3月2日) 昭和35年3月2日の岩手日報より。 投書欄では、この当時の学校用務員の身分保証のなさを嘆いている。 当時は学校長の裁量で採用していたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 大槌町で公営住宅工事進む(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 大槌町蟇川原の公営住宅の工事が進んでいるという。 というか蟇川原ってどこ? ・・・と思ったら、大槌町第21地割という、大槌川の河口の安渡側だったようである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 釜石のミシン店「シンガーミシンは24回月賦で31,200円から!」(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 広告欄にはシンガーミシンの広告が載っており、月賦で買えるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 9日 1960 釜石労働基準監督署からのお知らせ(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 釜石労働基準監督署が、事業者向けにお知らせを出している。 労災保険料納入について 労災保険概算保険料報告書提出方履行について 足場関係安全放棄k説明会の開催について 林業労働者に対する保護帽の着用について 他人を一人でも使用している方に注意!!… 続きを読む
l全県 1月 6日 1960 杉浦幸雄「チャキチャキ娘」(昭和35年1月6日) 昭和35年1月6日の岩手日報より。 この当時連載されていた4コマ漫画は杉浦幸雄「チャキチャキ娘」。 杉浦は明治生まれであるが女性描写には定評があり、「ヒゲとボイン」の小島功にも影響を与えたという。 確かにシンプルな描線で描かれた女性は「令和の漫画」として掲載してもさほど違和感無く受け入れられるのでは… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 昭和35年の釜石の初売り広告たち(S35.1.1岩手東海新聞) 昭和35年、元旦の岩手東海新聞は、釜石市内の各店舗の初売り広告で埋め尽くされている。 この記事を書いている令和5年現在、現存する店は無いのではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石の長寿部落(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この年、日本一の高齢者であったのは釜石市尾崎白浜に住む中村重兵衛氏であった。 この尾崎白浜と言う集落、釜石湾の南側にあり、釜石港から1日数回、巡航船が出ていると言う人口700人の集落であった。そのうち、75歳以上のお年寄りは23人もいると言う。 110世帯のほ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・中妻地区を緑の理想都市に(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この当時、釜石駅の西側の中妻地区は、新聞の表現をそのまま借りれば「釜鉄ビル住宅、ハーモニカ長屋の間に無計画にひしめき合うスラム街」だったのだと言う。 これを、5年後には近代都市として再生させようと言う計画であった。 釜石市が都市計画区域11万坪、2億9000万… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・錦館では「二人の武蔵」「口笛が流れる港町」を東京より先行公開!(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石・錦館では「二人の武蔵」「口笛が流れる港町」を東京に先駆けて公開する。 「二人の武蔵」は昭和35年1月3日公開の大映映画で、長谷川一夫・勝新太郎・本郷功次郎・市川雷蔵といった時代劇スターが一堂に出演。 「口笛が流れる港町」は昭和35年1月3日公開の日活映画で、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・シネマセンターの正月映画は「わが愛」「侍とお姐ちゃん」(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石のシネマセンターでは正月映画として「わが愛」「侍とお姐ちゃん」を上映する。 「わが愛」は昭和35年1月3日公開の松竹映画で、有馬稲子・佐分利真・乙羽信子などが出演。 「侍とお姐ちゃん」は昭和35年1月9日公開の東宝映画で、三橋達也・草笛光子・団令子・夏木陽介な… 続きを読む
l全県 12月 18日 1959 4コマ漫画に見る「学生運動が市民にどう思われていたか」(昭和34年12月18日) 昭和34年12月18日の岩手日報より。 この時に連載されていた「スカタン君」という4コマ漫画に、当時の学生運動がどのようにみられていたかを垣間見ることができる。 サラリーマン2名が赤ちょうちんで一杯やろうとしている。 そこへ酔っ払った学生がジグザグに歩いてくる。 まるで当時の安保反対のジグザグデモの… 続きを読む