b二戸・二戸郡 1 9月 1934 二戸郡で犬が次々と謎の病気で死ぬ(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 福岡町を中心に、二戸郡の各村一帯で犬の病気が流行して、5〜6日の短期間で倒れて死ぬと言う恐ろしい状態となっていた。 獣医に聞いても、どのような病気であるかわからないと言う。ただ、人間で言えば腸チフスのようなもので、いちどこれにかかってしまうと、ハクタレルで死んでしま… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1934 夏休みが終わり帰省中の生徒が次々と次々と盛岡に戻ってくる(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 学校では夏休みが終わり、帰省していた生徒が次々と盛岡駅に戻ってきた。 この当時、夏休みは関東以南同様、8月31日まであったらしい。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 8月 1934 あまりの凶作に犬猫まで殺して食べることに 昭和9年は天候不順により凶作の年となった。 どこかの村では、楢の実を食べて露命をつないでいたが、ついにそれも食べ尽くし、犬や猫まで殺して食べることにしたのだという。 この情報を聞いた県では、救済策を講じることになった。 ちなみに、小学校の児童は給食で命をつないでいるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 2月 1934 釜石沖にクラゲの大群 昭和9年2月11日のよみうり少年新聞より。 「岩手県釜石沖では~」という書き出しで始まっているこの記事は、この近辺で漁が思わしくないことを解説している。 岩手県水産試験所で調査したところ、これは数十年来見なかったクラゲの大漁浮遊であることが判明したという。 記事にいわく「まるで無数のパラシュートが潮… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1933 岩手医専教授「リンゴをすりおろして食べれば下痢に効果あり」(S8.11.2岩手日報) 先般、東北医学大会でリンゴ食療法を提唱した岩手医専の教授は、岩手日報の取材に応じ「おろしがねですりおろして食べれば下痢に効果がある」と主張した。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1933 肴町の永卯でスペシアルセール(昭和8年11月2日) 昭和8年11月2日の岩手日報より。 盛岡の中心街・肴町の永卯ではスペシャルセールをするという。 この永卯、この記事を書いている令和4年現在でも肴町でアクセサリーショップとして生業中であるが、この当時はファッションデパートとしての役割であったようだ。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1933 岩手医専教授が胃腸病治療に「リンゴ食療法」提唱(S8.11.1岩手日報) 東北医学大会で、岩手医学専門学校の教授が「リンゴ食療法」について発表した。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 3月 1933 昭和初期は疾病に関するプライバシーなど無かった 今でこそ、病気に関する情報はプライバシーとして守られているが、昔は全然そんな概念などなかった。 有効な治療法が存在しなかった時代は、せめて「どこの家で発生したか」知ることで、感染を防ぐという需要はあったのかも知れない。 2020年からのコロナ禍においても、「感染者のプライバシーの為に住所は公表しない… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1932 愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) 昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 1月 1932 江刺市内の食料品店でビスケット祭り(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 江刺市内の食料品店でビスケット祭りがあるという。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 1月 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにした。二戸警察署長の案内で馬橇に乗り、小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かる。谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけても返事がない。奥に入ると中は真っ黒で顔も見えず、再び声をかけると藁布団から現れた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 1月 1932 上等うさぎ肉400瓦13銭!(S7.1.10岩手日報) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡市内の肉屋「鶏屋」では、1月10日から12日までの3日間、特売を実施していた。 広告によれば、寒の地玉子は10個で25銭、豚肉は400瓦(グラム)で30銭。 これに対し、上等うさぎ肉は同じ400瓦で13銭と、豚肉の半分以下の値段だった。 当時は鶏肉や豚肉と並び… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1932 昭和7年当時の盛岡市内の個人医院(S7.1.8岩手日報) 昭和7年1月8日の岩手日報に掲載された広告より。 当時の盛岡市内にあった個人医院は次の通りです。 阿部医院(外科・肛門科・性病科)盛岡市仁王小路 船山医院(婦人科・産科、入院室あり)盛岡市馬場町 見坊内科医院(内科一般、特に胃腸)盛岡市仁王小路 斗ヶ澤医院(乳児科・小児科)盛岡市仁王小路 井川医院(… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1932 断然斯界の権威!飯塚洋服店(昭和7年1月5日) 昭和7年1月5日の岩手日報より。 広告欄には盛岡市内丸の飯塚洋服店の広告がある。 「断然斯界の権威!優れた技術!優良なる生地!」 こんな大時代的な惹句こそが昭和初期である。 ところで、飯塚洋服店とは後年のイイヅカでショッピング〜のイイヅカ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 1月 1932 松屋デパートで初売御礼大売り出し(昭和7年1月4日) 昭和7年1月4日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、初売り御礼大売り出しを行うという。… 続きを読む
l全県 11 9月 1931 中華民国の大水害に岩手県下でも義援金(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報には、当時の中華民国で発生した未曾有の大水害に対し、岩手県内でも義援金募集が始まったことが報じられています。 1931年中国大洪水は、黄河・長江・淮河流域を襲った一連の洪水で、記録上最悪級の自然災害とされます。前年までの旱魃に続く豪雨と雪解け、さらに活発だった台風活動が重… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11 9月 1931 水沢の牛乳搾取業者(原文ママ)が安上がりな消毒殺菌装置を開発(S6.9.11岩手日報) 昭和6年9月11日の岩手日報より。 胆沢郡水沢町の牛乳搾取業者が、従来の汽火熱式(スチーム式)牛乳消毒殺菌器に代わる、新しい「かまど式殺菌器」を発明したという。 この装置は、昔ながらのかまどの構造を応用したもので、価格は3斗(約54リットル)容量で150円程度。従来の汽火熱式では300円ほどかかるた… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 10 9月 1931 石鳥谷で秋の祭り(S6.9.10岩手日報) 昭和6年9月10日の岩手日報より。 この日の紙面には、石鳥谷町で行われた秋の祭典の様子が掲載されていた。 天候にも恵まれ、近隣の村々からも多くの人々が訪れ、町は朝から活気に包まれた。 記事によれば、人出はなんと1万人にのぼり、通りは祭り客で埋め尽くされたという。 写真には、提灯や旗で飾られた通りを歩… 続きを読む
g北上・和賀郡 9 9月 1931 黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典(S6.9.9岩手日報) 昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社・諏訪神社では、9月7日から9日にかけて祭典が行われた。町内は紅白の幔幕で彩られ、まさにお祝い一色の雰囲気に包まれたという。 農家も比較的暇な時期であったため、近在からも多くの人々が押し寄せ、神社境内は一層の賑わいを見せた。境内には見世物小屋が掛けられ… 続きを読む
hスポーツ 3 9月 1931 人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報) 昭和6年9月3日の岩手日報に掲載された広告。女子陸上競技の先駆者であり、日本人女性として初めてオリンピックに出場した人見絹枝が亡くなったのは、この1か月前のことだった。死因は過労とされ、その衝撃は大きかった。 広告ではこの出来事に触れつつ、「過労は短命のもと」と警告。体力を回復させるには薬の服用が有… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1931 盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) 昭和6年9月2日の岩手日報によれば、盛岡市では市内に水道を敷設する計画を進めており、その水源地として米内川が候補に挙がっていた。 この日、盛岡市議会の一行は上米内駅で下車し、川沿いを歩きながら現地調査を実施。写真には、白いスーツや帽子を身につけた市議らが河原に立ち並び、水量や周辺の地形を確認している… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 1月 1931 花巻町の84歳「長寿の秘訣は無理をせぬこと」(昭和6年1月1日) 昭和6年元日付の『岩手日報』には、花巻町の千葉丈之助翁(84歳)が登場する。かつて同紙の記者として筆を執っていた翁は、明治・大正の時代を経て、いまや静かな隠居生活を送っている。 当時の日本人の平均寿命は40代前半。そんな時代において、84歳という年齢は群を抜いた長命であった。記者が翁に長寿の秘訣を尋… 続きを読む
m県外・参考 1 1月 1931 在仙県人有志からも年始の挨拶(S6.1.1岩手日報) 昭和6年の元日、岩手日報紙面には、仙台で活躍する岩手県出身者や県ゆかりの企業からの新年広告がずらりと並んだ。 「謹賀新年」の大きな題字とともに、「在仙縣人有志不動町」と記された枠には、仙台市で事業や商売を営む岩手出身の人々が名を連ねている。 また、広告を出している企業の多くは、所在地に「仙臺」「青葉… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1931 軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(S6.1.1岩手日報) 昭和6年1月1日の岩手日報には、軍隊におけるのんびりとした新年の様子が伝えられている。タイトルは「朝風呂に浸ってのんびり新年を祝ふ 楽しい軍隊生活」。 記事によれば、元旦の早朝、盛岡に駐屯する騎兵第3旅団では、兵舎ごとに紅白の幕が張られ、静かな年明けを迎えていた。兵士たちは夜明けとともに順に「朝風呂… 続きを読む
l全県 1 1月 1931 昭和六年新年号(S6.1.1岩手日報) 昭和六年の元旦紙面──羊の年を迎える 昭和6年1月1日、岩手日報の新年号は、未年(ひつじどし)の到来を寿ぐ特別な紙面で飾られている。 冒頭には大きく右書き横書きで「岩手日日新聞新年号」と描かれ、日の出を背景に数頭の羊がゆったりと佇む絵が据えられている。山並みと海原を背に、朝日が昇る構図には、吉兆を祈… 続きを読む