a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 12月 1959 盛岡~福島のディーゼル準急「やまびこ」は人気上々(昭和34年12月18日) 昭和34年12月18日の岩手日報より。 それまでの列車といえば、上野行きの特急「はつかり」も含め、すべてが蒸気機関車の引っ張る列車だった。 そこへ、煙の出ない(SLほどは)ディーゼル準急「やまびこ」が盛岡~仙台~福島に颯爽とデビューしたのはこの年の2月1日。 乗車率は130%~150%で人気が高く、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 12月 1959 滝沢の女殺しは「俺がやった」という男出現(S34.12.18岩手日報) この年の3月24日に発生して未解決であった滝沢村の女殺しについて「俺がやった」という男が山形県鶴岡市に現れたが、信憑性に疑問点ばかりだった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1959 盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 盛岡と秋田を最短で結ぶ二級国道は、まだ全通していない状態であった。 雫石町の葛根田川にかかる葛根田橋の起工式が阿部知事、雫石町長、建設省盛岡建設事務所長などの列席のもとに行われた。 昭和36年に竣工の予定で、表日本と裏日本をつなぐ「陸の運河」としての機能が期待さ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1959 山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 それまで、盛岡~宮古を結ぶ山田線といえば急勾配やトンネルをC58や8620といった蒸気機関車が喘ぎながら、機関士も客も煙で真っ黒になりながら移動するのが当たり前の「カラス列車」だった。 このような中、12月1日、山田線の盛岡~釜石にディーゼルカーは導入されること… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 9月 1959 日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日) 昭和34年9月29日岩手日報より。 朝6:50頃、紫波町日詰の路上を回送中の花巻バスが、前方から来た人をよけようとして左手前方の製材所に突っ込むという事故が発生。 運転手が両ヒザに10日間程度のケガ、バスは15,000円、製材所は50万円程度の損害であったという。 昭和30年の北上・飯豊橋のバス事故… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 9月 1959 伊勢湾台風に乗って熱帯の鳥が盛岡に?(昭和34年9月29日) 昭和34年9月29日の岩手日報より。 岩手県内にも被害をもたらした伊勢湾台風であるが・・・ 盛岡市穀町(現在の南大通)の飲み屋の店長が、台風一過の店先で見慣れない鳥が弱っているのを発見した。 鳩より少し大きいようだが・・・? それで、鳥類の権威者である岩大農学部の助教授に鑑定を依頼する… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 9月 1959 伊勢湾台風なのに中体連の大会を強行 昭和34年9月29日の岩手日報より。 伊勢湾台風は岩手県内にも被害を及ぼした。 ところが、そのような中、盛岡市中体連は県営グランドで大会を中止しなかったのだという。 26日当日、盛岡市内は朝から風が強く激しい雨だった。 選手たちは待機中は傘を差していたとはいえ、寒さに震えながら、ずぶ濡れで競技をして… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1959 日産ディーゼルトラック・民生ディーゼルトラックは岩手日産自動車で! 昭和34年9月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車が日産ディーゼルトラックと民生ディーゼルトラックの広告を打っている。 この時期、トヨタにしろいすゞにしろくろがねにしろ、菜園とか大沢川原といった、下ノ橋の北側の中津川沿いに自動車販売会社が集中していたようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 9月 1959 盛岡城の天守閣を模型で再現 昭和34年9月23日の岩手日報より。 多賀盛岡木工という会社は盛岡城を模型で再現したのだという。 そしてゆくゆくは全国の城の写真を展示し盛岡市内で「城の展覧会」を行い、岩手公園に「城の博物館」を設立する考えであるという。 盛岡市長は「全国的に城の再現は批判があり再考の余地がある」とコメントした。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 9月 1959 ロカビリー三人男が盛岡体育館で実演します!(昭和34年9月23日) 昭和34年9月23日の岩手日報の広告欄より。 ピアスベルクリームの広告で、「銀座の人気ものロックの3人男がアナタの目の前で実演します!」というキャッチコピーで広告を打っている。 当時「ロカビリー三人男」として平尾昌章、ミッキー・カーチス、山下敬次郎が人気を博していた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 9月 1959 盛岡・国劇で「掟」「大人になりたい」封切(昭和34年9月22日) 昭和34年9月22日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の洋画専門館・国民映画劇場では「掟」と「大人になりたい」を封切する。 「掟」(原題:La legge)はマフィアもののイタリア映画で日本初公開は昭和34年8月4日。 「大人になりたい」(原題:Stefanie)はドイツ映画で日本初公開は昭和34年7月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 9月 1959 北朝鮮帰還事業で在日朝鮮人ブチ切れ「俺たちは囚人か!?」 昭和34年9月22日の岩手日報より。 在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業は、岩手県内でも受付が始まっていた。 北朝鮮とは国交が無く(このブログを書いている令和3年現在でも)、国同士の交渉はできず、赤十字社同士での交渉ということになり、ジュネーブで日朝赤十字協定に基づき帰還事業が行われることになった。 そ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 9月 1959 盛岡中劇で「恋の手ほどき」「親指トム」公開(昭和34年9月21日) 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 盛岡中劇で「恋の手ほどき」と「親指トム」を公開する。 「恋の手ほどき」(原題:GIGI)は米MGM制作のミュージカル映画で日本初公開は昭和34年6月13日。 「親指トム」(原題:Tom thumb)も米MGM制作でグリム童話の映画化。日本初公開は昭和34… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 9月 1959 テレビは岩手ナショナル月賦販売(株)の12回払いで!(昭和34年9月19日) 昭和34年9月19日の岩手日報の広告欄より。 この当時テレビは月給の何ヶ月分もする高い買い物であった。 前年に発生した信用金庫職員による一家殺人事件では、犯人の男は「月給は18,000円だよ」(本当は8, 000円)と見栄を張っていた。 そんな時代に、テレビは63000円だったのである。 それで、月… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1959 岩手で初めてのタクシー強盗(昭和34年9月16日) 昭和34年の9月16日に日が変わった午前1時頃のこと。 大通2丁目にある盛岡タクシーの無線司令室の交信台に、うめき声が入ってくる。 一体なにごと…? 「全車、異常の有無を報告せよ、どうぞ」 「6号車、異常ありません、どうぞ」 「3号車異常なしー、どうぞ」 そうやって返ってきた答えのうち、4号車だけが… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 9月 1959 昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) 昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 6月 1959 ディーゼル準急の運行を祝して盛岡の川徳デパートも広告を出す(昭和34年6月30日) 昭和34年6月30日の岩手東海新聞より。 盛岡〜釜石にディーゼル準急が運行開始したことに伴い、盛岡の川徳デパートが広告を出している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 5月 1959 盛岡~釜石に運行予定のディーゼル準急車両が盛岡客貨車区に配属(昭和34年5月18日) 昭和34年5月19日の岩手東海新聞より。 この年の7月には、盛岡~花巻~釜石にディーゼル準急が運行開始する予定であったが、そのディーゼル車両のうち1両が盛岡客貨車区に配属されたという。 釜石線のディーゼル準急は、上野~日光の準急「日光」や、盛岡~福島の準急「やまびこ」と同じキハ55形3両が充てられる… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 4月 1959 皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日) 昭和34年4月5日の河北新報より。 敗戦してからというもの、「日の丸」の国旗は日陰者のような存在であったそうな。 しかし、皇太子殿下の御成婚では盛岡市内の染物屋に商工会議所などから注文が舞い込み、街の家々に日の丸が翻るのだとか。 盛岡市内の商店主は、「この日の丸ブームは大正天皇の御大典の半分ぐらい、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1959 盛岡東映で「新吾十番勝負」「東京べらんめえ娘」封切(昭和34年3月25日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「新吾十番勝負」と「東京べらんめえ娘」を封切する。 いずれも初公開は昭和34年3月17日なので、盛岡での封切は1週間のタイムラグ。 「新吾十番勝負」は当時朝日新聞に連載中していた川口松太郎の小説を映画化したもので、主演は大川橋蔵。 「東京べらん… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1959 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 宮古から盛岡に出る山田線をSLが牽引する「カラス列車」からディーゼルカーに切りかえてくれと、宮古市長などは国鉄東北支社長に陳情に行っていた。 そして3月25日、昭和28年~昭和33年の間衆議院議員を務めた地元選出の中井英太郎氏(右社)が語る所では、 「ディ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 3月 1959 県教育会館で中卒就職者の激励会(昭和34年3月24日) 昭和34年3月25日の河北新報岩手版より。 この年に中学校を卒業して社会に出る就職者の為に、3月24日13時から県教育会館で「就職者激励会」が行われた。 就職者700名、県職安課長、山本盛岡市長など来賓が多数列席した。 山本盛岡市長からは「立派な社会人になるよう修行してもらいたい」という激励のあいさ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 3月 1959 滝沢村女性怪死体事件(S34.3.24) 滝沢村の空き家で顔と手足が焼けただれた女性の怪死体が発見される。 結局、犯人どころか被害者の身元すら判明しないまま昭和49年3月24日に時効を迎えたというあまりに奇怪な事件。 https://www.youtube.com/watch?v=WAiyreWbqpg … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 2月 1959 盛岡東映で「警視庁物語 顔のない女」「唄しぐれ千両旅」封切!(昭和34年2月25日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版の広告欄より。 盛岡東映では「警視庁物語 顔のない女」と「唄しぐれ千両旅」を封切する。 「警視庁物語 顔のない女」は昭和34年2月18日初公開で、「警視庁物語」シリーズの9作目。 「唄しぐれ千両旅」もまた昭和34年2月18日初公開で、里見浩太朗が主演。 「歌謡股旅… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 初めての公認予備校「竜沢予備校」が開校(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 昭和28年ごろから、「竜沢学習研究会」が盛岡市内の浪人生を相手に授業をしていた。 それを、父兄や生徒の要望を入れ、県公認の「竜沢予備校」として2月24日に開校の運びとなったものである。 この時点で生徒は大学受験組が6名、高校受験組が200名いた。 3月の新… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 2月 1959 盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) 昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 2月 1959 盛岡市内の映画案内(昭和34年2月7日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 盛岡市内の映画封切案内が出ている。 この当時すでに「SY内丸」という表記が出ている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 2月 1959 3月から花輪線に「やまびこ」より新型のディーゼルカー(昭和34年2月7日) 昭和34年2月7日の河北新報より。 3月から花輪線に「上がトビ色、下が濃いアイ色で、緑のサテンのカーテンの付いた」ディーゼルカーがお目見えするという。 このことで、花輪線は朝夕の通勤帯を除き全部がディーゼルカーになるという。 この記事では、当時盛岡~福島を走っていたキハ55準急「やまび… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1959 盛岡東映で「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」を公開!(昭和34年1月15日) 昭和34年1月15日の河北新報岩手版より。 盛岡東映では「忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻」を公開する。 初公開は昭和34年1月15日なので東京同時公開で、大石内蔵助役は片岡千恵蔵、堀部安兵衛役は大友柳太朗、大石主税は北大路欣也など、当時の東映スターが豪華出演していた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1959 盛岡日活では「若い川の流れ」「赤いランプの終列車」を公開(昭和34年1月15日) 昭和34年1月15日の河北新報岩手版より。 盛岡日活では「若い川の流れ」「赤いランプの終列車」を公開する。 いずれもなので、盛岡でも同時の初公開となる。 「若い川の流れ」の初公開は昭和34年1月15日で、石原裕次郎や北原三枝が出演。 「赤いランプの終列車」は昭和33年11月28日の日活映画で、春日八… 続きを読む