c久慈・九戸郡 14 2月 1987 久慈に国家石油備蓄基地建設開始(S62.2.14) 昭和62年2月14日、岩手県久慈市夏井町半崎地区で日本初の地下貯蔵方式による「久慈国家石油地下備蓄基地」の建設が始まりました。総事業費650億円、昭和66年度完成を目指し、国内の原油消費量3日分に相当する175万キロリットルを貯蔵します。備蓄基地は強固な岩盤内に地下水圧を利用した「横穴水封式タンク方… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 4月 1986 三陸鉄道は2年連続黒字(S61.4.1) 三陸鉄道は、第三セクターによる運営で開業以来二年連続黒字を達成し、順調な経営を続けています。開業当初のフィーバーには及ばなかったものの、乗客数は目標を上回り、経費削減や定期利用客の増加が黒字に貢献しました。第60年度の決算では、北リアス線と南リアス線の総乗客数が267万人に達し、前年から若干の減少が… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 4月 1984 三陸鉄道開業(昭和59年4月1日) 昭和59年4月1日、三陸鉄道開業。 その日を大槌小学校の3年生として迎えたが、当時のことは割とよく覚えている。 開業前から「三陸縦貫鉄道」に関して何やらよくテレビでニュースをやっていた。 そして「日本で初めての第三セクター鉄道」というのが誇らしかった。 釜石に行くと、釜石駅から大渡橋に行く途中の「3… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10 6月 1981 久慈線・宮古線・盛線が廃止対象に(S56.6.10) 三陸縦貫鉄道問題は、国鉄再建法に基づき、赤字ローカル線の廃止・バス転換を進める中で、鉄道の第三セクターによる運営を巡る議論が続いた。昭和56年6月10日、国鉄は廃止路線を選定し、久慈線、盛線、宮古線などが廃止対象となった。廃止手続きには運輸大臣の承認と協議会が必要で、協議が整わなければ「見切り発車」… 続きを読む
c久慈・九戸郡 13 12月 1978 本州で最後の手動交換局・山根局が自動通話化(昭和53年12月13日) その昔、電話は「電話番号を押せばすぐに通話できる」というものではなかった。 まずハンドルを回して電話局の交換手につなぎ、相手先の電話局と番号を言って交換手につなぐ作業をしてもらう。 その間、いったん電話を切る。 そして向こうがつなぐ作業が完了したら、交換手から電話がかかってきて「お話しください」とな… 続きを読む
c久慈・九戸郡 14 8月 1975 種市に火力発電所計画(S50.8.14) 昭和50年8月14日、東北電力は岩手県九戸郡種市町有家地区に火力発電所を建設する計画を発表した。県内の電力供給不足や東北新幹線の建設による電力需要の増加を背景に、燃料の受け入れが可能な海岸、強固な地盤、豊富な水源、国立公園外であることなどを立地条件として選定した。発電所は段階的に建設され、最初に発電… 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 3月 1971 じぇじぇじぇ!久慈でアルハラ報復殺人!?(昭和46年3月31日) 昭和46年3月31日、水曜日の午後。 久慈警察署に中年女性から捜索願が出された。 「旦那が昨日から家に帰ってこない。旦那は52歳で県職員。いつもなら酒を飲んでも10時には帰って来るのに。今朝、職場に電話したら出勤していないという。親戚にも電話したが来ていないという」 その「旦那」は、昨3月30日火曜… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4 6月 1970 久慈少女行方不明・殺害事件(S45.6.4) この事件は、久慈市で発生した8歳の少女が行方不明となり、後に他殺体で発見された未解決事件です。昭和45年6月4日の午後、少女は豆腐を買いに自宅を出たまま戻らず、母親が午後10時45分頃に警察に届け出ました。翌日から大規模な捜索が行われましたが、手がかりは見つかりませんでした。同日午前8時20分頃、少… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 12月 1967 久慈地区にし尿処理場を(S42.12.12デーリー東北) 九戸地区結核予防組合は九戸地区保健衛生組合と名を変えて、し尿処理場を建設しようという運びになった。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 12月 1967 久慈に中越パルプが進出?(S42.12.10デーリー東北) 久慈に中越パルプの工場が進出するかもしれないが、そのためには港湾整備が必要という条件。 また、下には小さく一戸町で戦没者慰霊法要が行われた旨の報道。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 9 12月 1967 「粗酒粗肴」なんて造り酒屋に失礼だ(昭和42年12月9日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 岩手県内では、11月21日から県産酒愛用運動が実施されていた。 久慈ロータリークラブ例会に現れた、岩手県酒卸支店長は、 「各種宴会の挨拶によくある、本日は粗酒粗肴で何もありませんが酒だけはたっぷり用意してありますといった表現は、真剣に酒を作っている私どもにと… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1967 種市でかんぼう(干しアワビ)作り始まる(昭和42年12月6日) 昭和42年12月6日のデーリー東北より。 岩手県のアワビは、11月1日から解禁になったが、種市町小子内では、この年も乾鮑(かんぼう)作りが始まった。 乾鮑(かんぼう)は、貝殻からはがしたアワビを塩漬けにして、水洗いをして、大きな釜で煮てから40日間ほど天日乾燥して作るものであり、主に香港に輸出されて… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1967 昭和42年の久慈市5大ニュース(昭和42年12月6日) 昭和42年12月9日のデーリー東北より。 久慈市は、市勢ニュースを公募していたが、応募総数が142通あり、12月6日の久慈市広報委員会で以下の通りに決まった。 2年連続豪雨災害 川崎製鉄久慈工場閉鎖 岩手国体の柔道会場に決定 久慈中学校や久慈高校の野球部が善戦 久慈市役所の機構改正 &… 続きを読む
b二戸・二戸郡 5 12月 1967 一戸や軽米でスリップ事故続出(昭和42年12月5日) 昭和42年12月6日のデーリー東北より。 12月5日の明け方、午前4時から9時半にかけて、一戸町の小繋から中山の間の4キロの間で、国道4号線で路面凍結によるスリップ事故が連続で6件も発生した。 死亡者も1名出ると言う惨事であった。 また、軽米町でもスリップ事故が発生して、3人が怪我をしたと言う。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 12月 1967 玉山村の幼児餓死事件で久慈の専門学校生が地蔵建立のために寄付(昭和42年12月3日) 昭和42年12月4日のデーリー東北より。 この前の月、玉山村で幼い姉妹が父親に置き去りにされて餓死したと言う痛ましい事件が発生した。 この事件は、全国的な反響を呼んだが、久慈市の久慈文化服装学園の生徒会では、玉山村の村長に当てて「死んだ2人の子供のお地蔵さんを立ててやってください」と4300円を送っ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 27 11月 1967 県内各地で火災予防運動(S42.11.27岩手日報) 冬に向けて、県内各地で火災予防運動が展開され、消防車によるパレードが展開された。 写真は宮古と久慈。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 11 10月 1965 九戸郡のへき地の小学生「書道展で入賞したのに旅費が無くて表彰式に行けない🥺」そこへ…(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 駒澤大学が主催し文部省が後援した「第2回全国学生書道展」の特別賞に、山形村立来内小中学校の2人が選ばれた。 ・・・が、そこは県北のへき地の村のこと。 旅費も無ければ晴れの席に来ていく服も無い。 それで、涙を呑んで表彰式への出席は断念することにした。 ・・・とい… 続きを読む
c久慈・九戸郡 9 10月 1965 久慈・山根小で貼り絵とトーテムポール(S40.10.9岩手日報) 久慈の山根小学校で貼り絵とトーテムポールを作成。 「恵まれない山村」として扱われている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1965 岩手県内各地で成人式(昭和40年1月15日) 昭和40年1月15日の岩手日報より。 盛岡体育館に集まる成人者。 「成人の日」である1月15日は、県内各地で成人式が行われた。 県都の盛岡では、盛岡体育館で3336人(男1643人、女1693人)の成人者を迎えて、新聞の表現を借りれば「マンモス成人式」となった。 女性の参加者の8割は「訪問着姿」であ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1962 1962年をリードするプリンス自動車は岩手プリンスで! 昭和37年元旦の岩手日報の広告欄より。 「スカイライン」などで知られるプリンス自動車が大胆にも一面広告である。 この時点で、盛岡だけではなく一関、大船渡、釜石、宮古、福岡(二戸)、久慈に販売店があったようである。 そして盛岡ではほかのメーカーのように菜園や大沢川原といった下ノ橋の北側ではなく南仙北で… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1961 学力テスト拒否で岩手県教組九戸支部の役員数名が逮捕され抗議集会(昭和36年12月6日) 昭和36年12月7日のデーリー東北より。 この時期、岩手県教員組合(岩教組)では学力テストを拒否闘争、いわゆる「学テ闘争」を展開していた。 これを、地方公務員法違反として捜査していた岩手県警本部は、12月6日の午前7時に、宮古警察署などを動員して、学テを拒否した宮古支部長や九戸支部長など12名を逮捕… 続きを読む
b二戸・二戸郡 6 12月 1961 ラジオ・テレビ番組表(昭和36年12月6日) 昭和36年12月6日のデーリー東北より。 デーリー東北は基本的には八戸の新聞なので、青森県内のラテ局の番組案内であるが、三戸や階上ぐらいなら岩手県内の放送も入ると見え、岩手放送の案内もあった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 6 12月 1961 種市町では近く中学校が統合するが…(昭和36年12月6日) 昭和36年12月6日のデーリー東北より。 種市町内の種市中学校、角ノ浜中学校、平内中学校を統合する話は、昭和32年から持ち上がっていた。 しかし、角の浜、平内の角学では、経済的負担が重くなるので反対しており実現できなかった。 ところが、その頃入学生等が増加し、学校修繕費がかかり、収容が困難でどうして… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4 12月 1961 じぇじぇじぇ!高校の潜水科の設備充実してけろ!(昭和36年12月4日) 昭和36年12月4日のデーリー東北より。 種市町は、久慈高校種市分校潜水科の施設の充実に力を注いでいたが、なにぶんにも町だけの予算では難しいので、町や学校や潜水協会などの関係機関が一丸となって県議会に予算の増額を陳情することになった。 久慈高校種市分校に潜水科ができたのは、昭和27年のことであり、町… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 12月 1961 久慈市の角柄開拓地に電気がやってきた(昭和36年12月1日) 昭和36年12月4日のデーリー東北より。 久慈市で最後の電気が通っていない地区であった侍浜町角柄開拓地に、12月1日に電気が導入された。 それで、侍浜小学校角柄分校の校庭で、落成式が行われた。 ここは、昭和21年に入植されてから、15年目で電気が実現したと言うことになる。 これは、久慈市の未点灯部落… 続きを読む
c久慈・九戸郡 19 4月 1958 弘前大学に野辺地分校? 昭和33年4月19日の読売新聞岩手版には、大学合格者情報が載っている。 久慈高校から弘前大学教育学部野辺地分校に二次募集で1名合格したことが報じられている。 弘大って野辺地分校なんてあったんだ・・・ Wikipediaを探してみるとすぐに行き当たった。 (Wikipedia「青森青年師範学校」より)… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 2月 1958 山形村戸呂町に初めてラジオ(S33.2.12デーリー東北) 九戸郡山形村戸呂町に初めてラジオがつけられ、村人が大喜びというニュース。 その隣には、新東海道線が別線で計画というニュース。 のちの東海道新幹線である。 … 続きを読む