c久慈・九戸郡 5月 26日 1957 種市・八木港で8尺2寸のお化けイカ(昭和32年5月26日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 九戸郡種市町の八木港で、8尺2寸のお化けイカが獲れたという。 8尺2寸とは、2.5メートルのこと。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 2日 1957 三陸沿岸は絶好の潮干狩り日和(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 4月2日は旧暦3月3日で桃の節句。 三陸沿岸は好天に恵まれ潮干狩り日和となり、盛鉄局は山田線や八戸線に臨時列車を出して潮干狩り客をさばいたという。 写真は大槌町の洲崎海岸で、5,000人の人出でにぎわったという。 釜石市の鵜住居海岸でも3,000にんの人出でにぎわ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 2月 23日 1956 3月からの八戸線ダイヤ(昭和31年2月23日) 昭和31年2月23日のデーリー東北より。 この年の3月からの八戸線のダイヤを掲載している。 八戸線は線形が平坦で、早くからガソリンカーが導入されていた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 2月 2日 1956 久慈や八戸の行商は新しいディーゼルカーに統制して乗りましょう(S31.2.2デーリー東北) 昭和31年3月から、八戸線には新しいディーゼルカーが導入されることとなった。 これは10系気動車であるが、称号規程改正以前なので「四五〇〇〇型」となっている。 それで、行商組合では「統制して乗車しましょう」と取り決めたのであった。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 29日 1956 久慈で素わらじの雲水が寒修行(昭和31年1月29日) 昭和31年1月29日のデーリー東北より。 久慈では、素わらじ姿の雲水が寒修行している風景が見られた。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 27日 1956 久慈映画案内(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 久慈市内には映画館が2館あったようで、その案内が掲載されている。 ちなみに、これが八戸だと、このくらい大きく扱ってくれる。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 27日 1956 軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 昭和の大合併の前、九戸郡小軽米村の6000町歩は「モデル林業村」として指定を受けていた。 これが昭和30年1月1日、晴山村とともに軽米町に合併してから、「町」として「モデル林業町」として県の指定を受けることになった。 これは、町としてははじめてのことであった… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 24日 1956 久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) 昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 19日 1956 久慈港も予算獲得合戦に参入(昭和31年1月19日) 昭和31年1月21日のデイリー東北より。 太平洋の荒波に面する久慈港は、漁船の難破事故が多かった。 そこで、堀込式の港にすることで、この状況を解消しようと言う計画があった。しかし、予算がないことにはどうにもならない。 同じような港湾整備の要求は、全国から43の港から上がっていた。 しかし、そのような… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 16日 1956 久慈市の目抜き通りが面目一新(昭和31年1月16日) 昭和31年1月16日のデーリー東北より。 1月10日、久慈市計画委員会が行われ、保留していた市街地幹線道路の区画整理の実施大綱を決定した。 久慈駅前からまっすぐ現在の新町通りまで幅20メートルで広くだけなのでこの地帯の立ち退きが必要 新町通りも幅20メートルで片側の家屋は若干立ち退きが必要 東部新町… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 15日 1956 久慈や種市の漁港で次々と施設拡充(昭和31年1月15日) 昭和31年1月15日のデーリー東北より。 サバ漁で昭和29年来活気を帯びてきた久慈や種市の漁港では、魚市場開設や冷蔵車の新設が目立っている。 八木港では状況が魚市場や冷凍会社を開設し、宿戸や小子内では漁協連合の共同市場を開設したと言う。 また、野田村の漁協でも農林中金に38,000,000円の融資を… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 14日 1956 沿岸で珍しい大雪(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 基本的に、岩手県の沿岸部の太平洋岸にはそれほど雪は降らないものである。 それは、普段雪を降らせている原因は「冬型の気圧配置」によりシベリアからの寒気が日本海の水蒸気を日本海側に運び、日本海側で大雪を降らせることはあっても、その水蒸気が奥羽山地や北上山地まで越える… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 12日 1956 種市町八木港に「消えない導灯」を(昭和31年1月12日) 昭和31年1月12日のデーリー東北より。 種市町の八木港では、導灯(航路標識)が消えていたために、前年11月に漁船の遭難事故も発生していた。 そこで、第二管区海上保安本部灯台部では、この導灯を消えないものにする工事をしていた。 また、種市町が昭和29年から陳情運動を行っていた「八木灯台」は予算的に難… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1956 悪書追放のために紙芝居をする大野村の女性(昭和31年1月10日) 昭和31年11月10日のデーリー東北より。 大野村では、悪書追放のために子供たちに紙芝居をしている女性がいるという。 この17歳の女性は、村の農業共済組合に勤めていると言う。 文芸や映画好きなこの女性、もともとは久慈高校大野分校に通っていたのだが、前年の8月に父親が急死してから、一家を助けるために高… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 8日 1956 八戸線にディーゼルカーを増強(昭和31年1月8日) 昭和31年1月8日のデーリー東北より。 盛鉄局では、八戸線の旅客輸送が増えてきたので3月1日から新ディーゼルカーを増強する予定であると言う。 この時点で、ディーゼルカーは5両あったと言うが、それに新車を運転9両加えれば14両となる予定。 ディーゼルカーは、尻内から久慈の間を運転する予定であるが、尻内… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 5日 1956 軽米町に観光協会を設立へ(昭和31年1月5日) 昭和31年1月7日のデーリー東北より。 軽米町社会教育委員会の新年初会議が行われ、軽米町に観光協会を設立することを決定した。 そして、主に以下のものを紹介することを決定した。 徳楽寺・袋薬師 八幡宮 大鳥の滝 ヤイホイの巌窟 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 5日 1956 野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 岩手では木炭の生産が盛んであるが、輸送方法と言えば萱俵で包み、運搬するにも型崩れや汚れがひどいと言う状況であった。 そのため、集荷業者による手直しと言う手間もかかっていた。 そこで、野田村の木炭検査場では、箱詰めの木炭を考案した。 その箱は、スリットを作り中身… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 31日 1955 久慈で子供たちの年越しパーティー(昭和30年12月31日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 久慈の駅前子供会の会長は、恵まれない家庭の子供たちにも年越しの楽しさを味わわせようと言うことで、子供たち30名を集めて年越しパーティーを行うこととした。 「のんきさん」として知られていた会長は、ねじりはちまき姿で「和製サンタクロース」として現れ、プレゼントをす… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 25日 1955 久慈地方「ヒエではなくお米を常食できるように開田工事をしましょう!」(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 九戸地方では、ヒエではなくお米を常食できるよう開田工事を進めているという。 長内土地改良区では、来年の田植え時期を目標に用水路の掘削工事を進めているという。 しかし、岩盤が固いところもあり爆破が主な作業となっているという。 これによって見込まれる米の増産量は6… 続きを読む
c久慈・九戸郡 11月 9日 1955 じぇじぇじぇ!?久慈駅に10系気動車? 昭和30年11月9日の岩手日報より。 八戸線に新しいディーゼル・カーがお目見得するのだという。 その名は45000形。 つまり車両称号変更前の番号である。 八戸線は山田線や釜石線に比べたら、はるかに平坦な路線なのでディーゼル・カーの導入も早かった。 記事では「待浜駅付近の急勾配がネックだが」と書いて… 続きを読む
c久慈・九戸郡 8月 10日 1955 村の財政が貧乏で汚い井戸水しか飲めない中学校(昭和30年8月10日) 昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 九戸郡九戸村では、まだ上水道が整備されておらず、飲用水は井戸水に頼っている状況であった。 伊保内中学校では、村の予算が無く、高台の耕地に建てられた校舎の隅に形ばかりの井戸を設けたのだという。 しかし、水面が地面と同じ高さとなり、雨が降れば下水からあふれた汚… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 8日 1955 ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日) 昭和30年6月8日のデーリー東北より。 久慈職業安定所に、6月8日、ブラジル行きの工業技術者皆が欲しいと求人依頼が舞い込んだ。 これは、岩手県出身で、この記事の現在ではリオデジャネイロでブラジル特産の宝石や貴金属製品を送り出している滞米40年の実業家によるものだった。 特に忍耐強い岩手県人を10名を… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 4日 1955 シケが幸いしワカメで賑わう九戸沿岸(昭和30年6月4日) 昭和30年6月4日のデーリー東北より。 岩手県九戸郡沿岸では、ワカメ採取の最盛期を迎えていたと言う。 5月28日が続いたシケの影響で、ワカメが岸に打ち上げられているため種市の小子内浜ではナギを持って部落民が早出で3500貫ほどを拾いあげたと言う。 55〜6歳の老漁夫は、水から上がって焚き火に当たりな… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 3日 1955 山形村の霜畑・小国にも電気を!(昭和30年6月3日) 昭和30年6月3日のデーリー東北より。 九戸郡山形村では、前走に先駆けて東北電力の電気導入に成功した荷軽部部落に刺激されて、関・霜畑・小国部落の372戸では、電気導入の気運が高まった。 この時点で、東北電力の電線は、久慈市山根町木売内まで達していた。 これに1線加えればこの地域まで達するので、拡張は… 続きを読む
c久慈・九戸郡 5月 28日 1955 大野村の開拓農場でラジオ東京が取材(昭和30年5月28日) 昭和30年6月1日のデーリー東北より。 5月28日、ラジオ東京の録音班3名が、岩手県開拓課員の案内で、この辺大野村弥栄の八種開拓農場を訪問し、現場を録音した。 取材テーマは「開拓地の共同組織はなぜ潰れたか」と言うものであり、昭和22年から25年頃まで、当時九戸地方に見られなかった共同組織による機械化… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1955 三陸縦貫鉄道と北上山系横断鉄道に国鉄の調査隊 「日本のチベット」と呼ばれていた岩手県の内陸北部に鉄道を通そうという計画は、実にこの頃からあった。 昭和30年1月10日読売新聞より そこで、国鉄は調査隊を派遣して基礎調査を行うことになった。 区間は宮古〜小本〜久慈の「三陸縦貫鉄道」と、沼宮内〜岩泉〜小本の「北上山系横断鉄道」。 この時点では、いず… 続きを読む
b二戸・二戸郡 6月 28日 1952 一戸〜伊保内の県北バス試乗記(昭和27年6月28日) 昭和27年7月1日の岩手新聞より。 県北バスの一戸〜伊保内線は6月29日に開業したようだが、それに先立つ6月28日、試乗会が行われた。 その記録。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 1日 1950 国鉄バス久慈自動車営業所の新ダイヤ(昭和25年10月1日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 国鉄バス久慈自動車営業所では10月1日からの新ダイヤを発表した。 沼宮内東線 上り 久慈発 7:00、9;30、11:30、16:30 下り 陸中山形発 6:30、9:00、13:00、17:10 軽米線 上り 久慈発 7:05、9:30、12:30、16:15… 続きを読む