県下各校の配属将校が決定(S2.3.16岩手日報)

昭和2年3月16日の『岩手日報』より。

この時代、岩手県内の旧制中学校や高等女学校、実業学校などには「配属将校」と呼ばれる軍人が派遣されていた。これは学校での軍事教練や思想教育の一環として、陸軍省が制度化していたものである。

この日の新聞には、岩手県下の各校に新たに配属される将校の人選が決定したという記事が掲載されている。

たとえば――
• 盛岡中学校には、歩兵第三十一聯隊から尉官が配属。
• 盛岡高等農林学校には、同じく歩兵第三十一聯隊から。
• 岩手県立師範学校には、砲兵将校が配属。
• 盛岡高等女学校や岩手農学校にも、それぞれ異なる将校が配置されていた。

記事を読むと、配属先の学校とともに、どの連隊からの将校がどのような階級で配属されたかが細かく記されている。たとえば「歩兵少佐 野矢正一」や「歩兵大尉 佐藤秀雄」など、階級と姓名が並び、一定の格式を感じさせる内容となっている。

現在から見ると学校教育の場に軍人が常駐するというのは異様に思えるが、当時は国民皆兵の思想が強く、こうした制度が当然とされていた。昭和初期の教育と軍事の結びつきの一端を示す、貴重な記録である。


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