山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(昭和3年8月29日)
1928年8月29日
2022年5月28日
昭和3年9月1日の岩手日報より。
当時、山田線は盛岡から上米内しか開通していなかった。
しかし、「山田線」と言う路線名にある通り、いずれは山田町を通って、釜石まで開業する予定ではあった。
この時点では、区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間は、7カ所の駅が開設される予定であった。
では、宮古から山田をどうするか。
そのための打ち合わせが、8月29日に宮古町役場で熊谷巌代議士出席の上で、沿線の各町村の代表を集めて行われた。
その結果、以下の通り決まった。
- 宮古町:9月上旬の商工会の総会で決定
- 津軽石村:1カ所
- 磯鶏村:2カ所
- 豊間根村:1カ所
- 大沢村:路線は当村を経由してほしい
- 山田町:1カ所