壮烈なる歩騎合同演習(昭和3年9月6日)

昭和3年9月6日の岩手日報に掲載された「歩騎聯合演習」に関する記事は、盛岡近郊・観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ付近)にて行われた陸軍の合同演習の様子を伝えています。この記事では、歩兵と騎兵が入り乱れての演習の様子が「壮観」と形容され、観閲式を含む大規模な訓練が終盤を迎えたことが報じられています。

当時、観武ヶ原は東北地方の軍事拠点の一つとしてたびたび使用され、陸軍第三師団や騎兵部隊などが展開していた場所でした。記事中でも「壮烈なる歩騎聯合演習」と見出しが打たれており、午前9時50分にラッパが鳴って休憩に入るまでの間、白兵突撃などが展開されていたことが伺えます。

また、油川大隊(弘前歩兵第31連隊を含むとみられる)の動きについても詳細に報じられており、「午後休養して、翌朝9時に帰営」と演習の終了とともに部隊が帰隊する旨が記されています。盛岡には騎兵第23連隊や兵器廠、陸軍病院なども設置されており、昭和初期の東北地方における軍事的な要衝のひとつとして重要な役割を担っていたことがうかがえます。

写真には、馬上の将校や草原を駆ける歩兵たちの姿が写されており、当時の訓練の厳しさや迫力が生々しく伝わってきます。新聞を通してこのような演習の様子が一般市民にも伝えられ、軍隊と地域社会との関係を可視化する役割も果たしていたのかもしれません。

なお、こうした大演習は単なる戦技訓練ではなく、国家的行事としての側面も強く、陸軍の士気や国威発揚に資するものと位置づけられていました。昭和の始まりという時代背景にあって、こうした動員と演習の報道は、国民に対する軍事への関心喚起の意味合いも含んでいたのではないでしょうか。


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