横綱・宮城山が郷土で土俵入り(S4.9.2岩手日報)
1929年9月2日
2025年8月1日
昭和4年9月、郷土・岩手が生んだ横綱・宮城山が盛岡に凱旋し、大相撲巡業の開催に先立って、盛岡市の大慈寺境内にある原敬の墓所前にて、厳かに四股を踏んだ。
この土俵入りは、郷土出身の横綱による特別な儀式として行われたものであり、政界の巨星であった原敬に対する敬意を込めた所作でもあった。神前にも似た静けさのなか、宮城山は堂々とした構えで四股を踏み、地元関係者たちに深い感銘を与えたという。
この巡業には、宮城山を筆頭に、花巻出身の照錦、さらに豊国、岩手山といった岩手ゆかりの力士たちが参加。相撲会場には、宮城山後援会から約50名、照錦後援会から約300名、岩手山後援会から約200名、総勢約700名の観衆が集まり、各力士に熱い声援を送った。
地方巡業のなかでも、こうした地元出身力士による取組は格別の意味を持ち、相撲が単なる娯楽ではなく、郷土との深いつながりを持つ文化であったことをうかがわせる。
昭和初期の岩手において、相撲は人々の誇りであり、心の拠り所でもあった。その象徴とも言えるこの日の宮城山の姿は、時代を超えて語り継がれる価値を持っている。