「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日)
1929年9月5日
2022年5月19日
昭和4年9月6日の岩手日報より。
東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。
そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。
- 原始共産主義的な形態の村。
- 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支配している。
- 山あいで耕地に乏しく、この村の収穫では3ヶ月分の食料しか得られない。それで、外部から食料を購入するしかないが、木炭等の山間生産物は安価であり、買うものは馬鹿に高い。結局借金をするしかないのだが、銀行は決して貸してくれず、海岸方面の高利貸しの金を拝み倒して借りてくるしかない状況。
- 思想などもごく幼稚。
- 衛生状態も決して良くない。
- 外界との交通も局限されているため、血族結婚も行われているようだ。
- 交通路が開けるようになったら、村の滅亡の危機に陥らないとも断言できない。
- 消極的な救済方法としては、養蚕や畜産と言う特有の産業奨励するほかはない。