日: 1930年3月1日

岩手県の新生児死亡率の高さは昭和初期からの悩みだった(昭和5年3月1日) l全県

岩手県の新生児死亡率の高さは昭和初期からの悩みだった(昭和5年3月1日)

昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事の見出しには「産婆を置いて嬰児の死を防ぐ 本県の死亡ベラボーに高率なので 社会課の対応策成る」とある。 具体的な数字は書いていないが、とにかく他府県に比べ「ベラボーに高率」だったらしい。 これに対し、岩手県社会課は以下のような対策を考えた。 産婆設置の普及。特に…
原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(昭和5年3月1日) m県外・参考

原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(昭和5年3月1日)

大正10年11月4日、時の総理大臣であった盛岡出身の原敬は、大塚駅転轍手の中岡艮一の凶刃により暗殺された。 そして中岡には無期懲役の判決が下された。 それから9年。 昭和5年3月1日の岩手日報には、その中岡艮一の家族のその後が掲載されている。 「無期懲役」と言いながら、出所が近いというのだ。 51歳…
盛岡・紀年館では日活「修羅城」「父」公開(昭和5年3月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・紀年館では日活「修羅城」「父」公開(昭和5年3月1日)

昭和5年3月1日の岩手日報より。 この日の夜から、紀年館で日活映画「修羅城」「父」を公開するのだという。 ちなみに紀年館とは、大正4年11月23日開館の盛岡における最初の常設映画館で、肴町~八幡宮の通りにあったらしい。 ともあれ「修羅城」は昭和4年10月1日公開で大河内伝次郎などが出演、「父」は昭和…
宮古ではカツオ漁船が全滅の危機(昭和5年3月1日) d宮古・下閉伊郡

宮古ではカツオ漁船が全滅の危機(昭和5年3月1日)

昭和5年3月1日の岩手日報より。 令和の今でこそ宮古港はサンマなどで知られるが、この当時の記事の書きぶりによれば「宮古港漁業家が唯一の生命とする鰹漁」とある。 カツオというと高知や枕崎など、南の方の魚というイメージが強いが、実際に水揚げ日本一の漁港は気仙沼港であったり、県内でも今なお岩手日報で大船渡…
盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日)

昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がおり、当時の陸軍の根拠地である観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)に「伊東飛行場」という飛行場を個人で持っていたという。 (詳細は以下のブログにも詳しい) この伊東氏が、市内中心部の仁王・内丸・日影門・本町の10~18歳の少年1…
盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(昭和5年3月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡の八幡町遊郭では娼妓にアンケート取って改革します!(昭和5年3月1日)

昭和5年3月1日の岩手日報より。 盛岡の遊郭である八幡町の貸座敷組合では、80名いた娼妓にアンケートを取り、以下のような改革を行うこととなった。 勘定書はこれまで番頭が持っていたものを仲居に持たせ、娼妓の手当を増す。 1時間制を採用し、1時間1円50銭とする。 盛岡警察署長も「遊興を猛烈に誘う結果に…