あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日)
1931年6月3日
2022年1月26日
昭和6年9月1日の岩手日報より。
8月31日に19歳の少年と21歳の男を被告に開廷された自動車強盗事件の裁判があった。
これは、6月3日に自動車強盗をやろうとして失敗した。というものである。
主犯は19歳の小柄な少年。
青森の下北半島の生まれで、製材工場のエンジン係として働いていた。
そこで主人のトランクの中から運転免許証を見つける。
この店を解雇されたために、この免許証を持ってまずは秋田県の大館へ。
ここで運転手をしているうちに事故を起こして首になってしまった。
そうして山形や宮城を転々として、岩手県に入り一関の旅館に来た。
この時に、東磐井郡小梨村出身の21歳の男と出会うことになった。
鈍重な感じのするこの男は、石屋を首になっていた。
失業者同士意気投合した2人は、新聞で「千葉県内で運転手を絞殺して自動車強盗。犯人は行方不明」という記事を見て「これだ!」と思ったらしい。
この2人の計画は以下の通り。
- 一関で自動車を借りよう。
- 一関~千厩のどこかでやろう。
- 適当な所で「小便をしたいから止めてくれ」と言おう。
- その隙に運転手と助手をやっつけよう。
- そのためにワナ(首を絞める紐)を2つ用意しよう。
- 計画を実行したら東京の方に逃げよう。
- そのためにボール紙で各県のナンバープレートを作っておこう。
そして、6月2日に一関~千厩を徒歩で事前調査した結果、門崎村横石鉄橋付近、つまり現在の大船渡線が北上川を渡るあたりの断崖絶壁で結構しよう、ということになった。
あくる6月3日。
この日は暴風雨だった。
「百年天気図」で見る限りでは、この日は北海道付近に低気圧があり、その南に関連前線が伸びている。
ともかくも、かねて予定していた通り一関で新フォードを5円50銭で貸切ることに。
しかしなにぶんにも暴風雨のこと。
自動車屋では念のためにもう1人助手を付けることにした。
つまり自動車屋のスタッフは3名。
でも罠は2つ。
予定していた門崎村横石鉄橋のあたりに着いても計画は実行できず。
結局、一関でお縄になってしまったのである。