市日の久慈で巡査がちょっと自動車を運転してみたら大惨事(昭和6年8月31日)
1931年8月31日
2025年8月6日
昭和六年八月三十一日──その日は久慈町の「市日」で、二十八日町は近郷近在からの買い物客でごった返していた。
ナンバー「岩二九」のその車両は、軽米自動車組合のものであり、本来であれば軽米〜久慈間を運行しているはずのバスであった。
しかし、事件当時そのハンドルを握っていたのは、なんと久慈警察署所属の25歳の巡査。
自動車は前方不注意のまま暴走し、群衆を跳ね飛ばしてしまう。
結果、重傷者4名、軽傷者2名という惨事に発展した。負傷者は直ちに田村医院および石川医院に搬送されている。
なぜ巡査が乗合自動車を運転していたのかは、記事からは明らかではない。
おそらくは折り返しの空車で「ちょっと貸してくれよ」という軽い気持ちだったのかもしれない。
この巡査が運転免許を持っていたかどうかも、報道は触れていない。
いずれにせよ、久慈警察署長は「誠に済まないことをした。非常に憂慮している」と、関係各所に平謝りするしかなかった。
警察官の職権を逸脱した行動が、大勢の市民を巻き込む事故につながったことは、当時としても決して軽く扱われるべきではなかっただろう。