世田谷の老婆殺し(S8.6.23)

昭和8年6月24日、岩手県水沢警察署の司法主任は『東京新聞』の記事に注目した。記事には、6月23日に東京市世田谷区玉川町で老女の絞殺遺体が発見され、身元が不明ながら田舎出身と推測されると記されていた。この情報を基に、警察は被害者の写真を県内外の警察署に送り、身元特定を進めた。

捜査の結果、岩手県水沢町(現在の奥州市水沢区)に住む老婦人が被害者であることが判明した。彼女はかつて裕福な生活を送っていた未亡人で、若い男性との交際を繰り返す中で財産を失い、経済的に追い詰められていた。一方、犯人は熊本県熊本市京町(現在の熊本市中央区京町)出身の男性で、かつて東京市外大井町(現在の東京都品川区大井)に移住し、東京の神田錦城中学校(現在の錦城学園高等学校)を卒業した人物だった。彼は教育を受けたものの、職を転々とし、広告業を営んだ時期もあったが成功せず、岩手県一関町(現在の一関市)に移住後も職に就けず困窮していた。

犯人は生活苦から抜け出すため、被害者と関係を持ち、彼女の財産を奪うことを目論んだ。被害者から約3,000円の負債を引き出させた結果、彼女の財産はほぼ底を突いた。こうした中で、被害者が関係の継続を迫ったことに業を煮やし、最終的に殺害を決意するに至った。

昭和8年6月22日、犯人は被害者を東京見物に誘い出し、世田谷区玉川町(現在の世田谷区玉川)で、事前に準備した麻縄を使い絞殺。所持金の一部を奪い、強盗による犯行を装い現場から逃走した。その後、アリバイ工作を図るも警察の捜査網にかかり、7月2日に犯行を自供した。

犯人は神田錦城中学校(現在の錦城学園高等学校)を卒業した経歴を持ちながら、その後の人生は職を転々とし、内縁の妻と生活する中で経済的に追い詰められ、犯罪に走る結果となった。この事件は、経済的困窮や人間関係が絡み合い、昭和初期の社会背景を反映した悲劇的な犯罪例として記録されている。


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