熱河作戦の兵士たちが盛岡に凱旋(S8.11.16岩手日報)

昭和8年11月16日付の岩手日報夕刊は、実際には前日の15日夕刻に読者の手元へ届けられました。紙面の見出しは翌日の日付を冠していますが、記事中では配送当日である15日の出来事を「けふ(今日)」と表現しており、弘前に司令部を置く第八師団の隷下として、満州事変から熱河作戦へと転戦した郷土部隊の凱旋をリアルタイムで伝えています。

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昭和8年11月15日の午後0時29分、酷寒の熱河省において峻険な古北口を突破し、承徳一番乗りの武功を立てた将兵を乗せた列車が、秋晴れの盛岡駅に到着しました。午後0時49分に整列を終えた石津部隊長以下約600名の将兵は、熱河の荒野で鍛え上げられた足取りも逞しく、軍靴の響きを市街に轟かせながら行進を開始しました。沿道を埋め尽くした数万の市民は、第八師団の一翼として大任を果たした郷土の勇士に対し、割れんばかりの万歳三唱と感動の涙をもって迎えました。

午後1時15分には岩手公園付近を通過し、将兵たちは万歳を叫ぶ父母や兄弟、そして市民の歓声の渦に包まれました。15日の夕方にこの新聞を手にした人々は、紙面に躍る熱河攻略の詳報を読みながら、数時間前に自分たちが目撃したばかりの、砂塵にまみれた軍旗と将兵の誇らしげな顔つきを改めて脳裏に刻むこととなりました。16日付という日付を持ちながら、15日当日の熱狂をそのまま封じ込めたこの夕刊は、精鋭師団としての誇りと、郷土部隊を慈しむ岩手県民の感情が凝縮された極めて密度の高い記録となっています。


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