凶作地・上閉伊郡金沢村の実情(S9.10.2岩手日報)
1934年10月2日
2026年2月28日
Contents
【昭和9年の記憶】栃の実を潰し、闇に耐えた「金沢村」の真実

取材班が向かったのは、中部山間部、現在の上閉伊郡大槌町金沢(かねざわ)。そこには、飢えと偏見、そして文明から取り残された村の過酷な現実がありました。
■ 72歳の老村長・兼澤翁が語る「犬猫」の真相
紙面の中央で、どっしりと椅子に腰掛けるのは当時72歳の兼澤村長です。当時、世間では「金沢村では食糧が尽き、犬や猫まで殺して食べている」という衝撃的な噂が広まっていました。
この残酷な噂に対し、村長は静かに、しかし毅然と語っています。
「(犬猫を殺したというのは)不生産的な動物を整理したに過ぎない」
それは、飢えに狂った暴挙ではなく、限られた食糧を人間が生き延びるために回すという、極限状態での「冷徹な合理的判断」でした。村を守る責任者としての苦渋の決断が、この言葉に凝縮されています。
■ 「燈(ひ)も知らぬ村」――届かない文明の光
記事の見出しにある「燈も知らぬ村」。これは比喩ではありません。当時の金沢村には、文字通り「電気」が通っていませんでした。
生活が苦しくて消しているのではなく、「電線そのものが引かれていない」ため、村は夜になると完全な闇に包まれます。主食の米は獲れず、山の「栃の実」を潰して食いつなぐ日々。文明の恩恵から切り離された山間の暮らしは、現代の想像を絶するものでした。
■ 遠く鎌倉・名古屋から届く「女中」の照会
村の窮状が報じられると、意外な反応が役場に届くようになります。それは、鎌倉や名古屋といった遠方の都市部からの「女中として雇いたい」という申し出でした。
「貧乏な村」というレッテルが貼られたことで、格好の労働力供給源と見なされた側面もあったのでしょう。娘たちを都会へ送り出すことでしか家計を支えられない、当時の農村が抱えた構造的な悲劇が浮き彫りになっています。
