胆沢郡永岡村で「白痴に近い薄バカ」の義妹殺し(S18.5.16)
昭和18年5月16日、岩手県胆沢郡永岡村(現金ケ崎町永岡)で、戦地に赴いた夫を持つ女性が失踪した。この女性は夫の留守中に義理の兄から暴力を受け、妊娠してしまうという苦しい状況に置かれていた。義理の兄は、女性が4歳の子供を置いて家を出たことを「自殺の恐れがある」として警察に捜索を依頼した。
警察は地元住民や消防団、隣組と協力し、北上川や胆沢川沿い、奥羽山脈の山中を含む広範囲で捜索を行った。しかし、女性の行方はつかめず、1週間が過ぎた。その後の5月20日頃、金ケ崎町の郵便ポストに匿名の投書が届いた。投書には「家出した女性は北上川の金ケ崎橋から半里(約2キロ)下流の川原で死んでいる」と書かれていた。警察はこの情報を基に捜索を行ったが、遺体は発見されなかった。
5月23日、北上川沿いでの再捜索中、捜索に参加していた義理の兄が突然、「遺体を見つけたが、ひどい状態なので言い出せなかった」と申し出た。彼の案内により、江刺郡愛宕村(現江刺市愛宕)の北上川川原で女性の遺体が発見された。遺体は衣類が乱れ、暴行の形跡があり、喉を刃物で深く切られた傷が致命傷となっていた。一見して他殺と判断された。
5月24日、司法解剖が行われ、女性が妊娠2か月だったこと、喉部を鋭利な刃物で刺されて死亡したこと、暴行の痕跡があったことが判明した。警察は捜査本部を設置し、事件の可能性をいくつか検討した。夫の不在中に関係を持った男性による殺害説、金銭目的の強盗殺人説、怨恨関係による犯行などが考えられたが、いずれも決定的な証拠が得られず捜査は難航した。
事件発生から1か月後、警察は義理の兄に再び注目した。彼は「白痴に近いうすバカ」(知的障害があるとされた)とされ、当初は「このような重大な罪を犯すはずがない」と判断されていたが、その後の調査で不審点が浮上した。彼の所有するシャツを調べたところ、血痕が付着しており、鑑識の結果、それが被害者の血液型と一致することが判明した。
警察は義理の兄を被害者の写真や供えられた香花の前に座らせ、静かに様子を見守った。すると彼は泣き崩れ、「(被害者の名)を殺した」と自供した。彼の話によれば、女性から妊娠について相談を受けた後、悩み抜いた末に殺害を決意。失踪当日、彼女を北上川沿いに誘導し、暴行した上で金銭を要求したが拒否されたため、短刀で喉を切り殺害したという。その後、遺体を放置し現場を去った。
供述に基づき、凶器の短刀の捜索が行われたが発見されなかった。しかし、シャツの血痕が物的証拠とされ、義理の兄は起訴された。昭和19年4月、裁判所は無期懲役の判決を言い渡した。この事件は、戦時下の家庭崩壊や社会的抑圧が生んだ悲劇として記録されている。