盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日)
1944年7月31日
2022年1月23日
昭和19年8月1日の岩手日報より。
この時期、尋常小学校や高等小学校は「国民学校」に名を変えており、下の橋のたもとにある盛岡高等小学校は昭和15年に「盛岡国民学校」に名前を変えていた。
この盛岡国民学校を卒業し海軍予科練習生となっていた5名が、7月31日に母校に里帰りしたのだ。
今でいえば「ホームカミングデー」のようなものであろうか。
白い7つボタンの夏服に身を包んだ5名は、1500名の生徒が見守る中で壇上に立ち挨拶をした。
暫く振りで諸君達と会い非常に嬉しく思います。
我々も入隊以来岩手魂を発揮して日々元気一杯で猛訓練に励んでまいりました。
諸君達も大勢海軍に志願されこぞって霞ケ浦にやってくることを希望します、終り!
ちなみに、盛岡国民学校は戦後に「下橋中学校」となっている。