川徳で隠退蔵物資の大売り出し(S25.1.12新岩手日報)
昭和25年1月12日付の新岩手日報には、戦後日本の混乱と庶民のたくましさを象徴するような、驚くべき光景が記録されています。その記事が伝えているのは、隠退蔵物資と呼ばれた旧日本軍などの横領物資が摘発され、市民に安く放出された際の異様なまでの熱狂です。隠退蔵物資は、本来ならば終戦直後に国民へ分配されるべき貴重な衣料品や布地が、一部の勢力によって不正に隠匿されていたもので、物不足に苦しむ当時の人々にとっては、まさに命をつなぐための切実なお宝でした。
放出の舞台となったのは盛岡の河南地区、肴町にあった川徳百貨店です。記事によると、この売り出しに集まった群衆の数は凄まじく、行列の最後尾は現在の盛岡バスセンターがある小人町付近にまで達したといいます。同じ河南エリア内とはいえ、商店街を延々と埋め尽くしたこの大行列を整理するため、警察だけではなくボーイスカウトまでもが動員されるという、平時では考えられない異例の事態となりました。
新聞の見出しに掲げられた「隠退蔵物資に集まる“女の眼”」という言葉は、当時の切実な空気感を如実に物語っています。市価の半値という破格の値段で売られる絹毛のズボン下やシャツ、白無地の布地などを求め、正月の寒さも忘れて詰めかけた女性たちの眼差しは、家族の暮らしを必死に守ろうとする執念に満ちていました。中には使い古しの靴下が混ざっていたという記述もあり、放出された物資の質は必ずしも万全ではなかったようですが、それでも人々は山積みにされた品々に懸命に手を伸ばしました。
この昭和25年1月12日の紙面が発行されてから70年以上が経ち、現在の肴町からバスセンター周辺にかけては穏やかな街並みが広がっています。しかし、かつて同じ道の上に、生活を立て直そうと一点の布地を追い求めた数千人の群衆がひしめき合っていた事実は、この黄色く色あせた新聞記事の中に今も生々しく息づいています。