盛岡市議会選挙の結果(S26.4.24夕刊いわて)
1951年4月24日
2026年1月2日
昭和26年4月24日の夕刊いわてを眺めていると、戦後復興期の盛岡が持っていた熱気と、現代とは異なる街の輪郭が浮かび上がってきます。この記事の一面を飾るのは新人20名が進出したという市議選の開票速報で、当時の市民の政治に対する並々ならぬ関心が伝わってきます。投票率が85パーセントを超えている点からも、自分たちの代表を送り出そうとする当時の人々の強い熱量が読み取れます。
特に興味深いのは、紙面の左側に掲載されている地区別の得票数一覧です。ここには市第一や市第二といった、現代の盛岡市民には馴染みの薄い名称が並んでいます。ご指摘の通り、当時も第一小学校や第二小学校という名称の学校は存在しませんでした。これは学校名ではなく、行政が便宜上区切った投票区の名称、あるいは戦前からの古い区割りの呼び名をそのまま引き継いで使用していたものと推測されます。
また、リストに並ぶ杜陵、城南、厨川、仁王、桜城、仙北、大慈寺といった地名はいずれも歴史ある校区ですが、一方で山岸や上田、中野といった現在では主要な地区が独立して表記されていません。これは当時の盛岡市の規模や集計単位が現在とは大きく異なっていたことを示しています。山岸は杜陵に、上田は仁王や桜城にというように、大きな母体となる地区に集約されていた可能性が高いでしょう。
さらに紙面の下部に目を向けると、映画の広告や精肉店の宣伝が並び、当時の人々の暮らしぶりが生き生きと描写されています。こうした古い新聞は、単なる記録を超えて、かつての街の仕組みや人々の生活圏の捉え方を教えてくれる貴重なタイムカプセルです。当時の区分けが具体的にどの通りを境にしていたのか、かつての古地図と照らし合わせながら想像を膨らませるのも、歴史を知る楽しみの一つと言えるでしょう。