「街の子」は盛岡にもいた(S26.8.3夕刊いわて)
昭和26年8月3日の夕刊いわてには、当時の世相を鮮明に映し出す興味深い一節が記されています。夏の名題歌集として紹介されているのは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった美空ひばりさんの楽曲、私は街の子です。折しも1週間後の8月10日には盛岡市の岩手県公会堂で彼女のコンサートが予定されており、地元の人々にとってこの歌は、まさにスターの来県を予感させる特別なメロディだったのでしょう。
記事の中で特に目を引くのは、歌のイメージと当時の現実を重ね合わせた、ある商店のおかみさんのエピソードです。おかみさんは、店先でハーモニカを吹く少年にひもじかろうと1分のお情けで10円札を握らせました。ところが少年は感謝するどころか、ちぇっと舌打ちをして、なんだい10円ぽっちと吐き捨てるように言い放ち、楽器をしまって立ち去ってしまったといいます。
この10円という金額は、現在の感覚に直せば決して少額すぎるものではありませんでした。当時はアンパンが1個10円、銭湯の入浴料が12円ほどだった時代です。現代の価値に換算すれば、見知らぬ大人から200円ほどを手渡されたような状況と言えるでしょう。おかみさんにしてみれば、子供へのお小遣いとしては十分な善意だったはずですが、路上で芸を披露して生きる少年たちにとっては、1食分にも満たない端金に過ぎなかったのかもしれません。
記事の筆者はこの少年の振る舞いを通じて、ひばりちゃんが歌う街の子のイメージを描き出そうとしています。大人の視点からはこましゃくれていて生意気に見えるけれども、その裏には戦後の混乱期を自力で生き抜こうとする子供たちの、強烈なしぶとさと寂しさが同居していました。
華やかなスターである美空ひばりさんの歌声が街に流れる一方で、実際の路上にはこうした冷めた視線を持つ子供たちが確かに存在していました。市役所の窓口改善運動や馬車の事故といった身近なニュースが並ぶ紙面からは、復興へと向かう時代の熱気とともに、理想の歌声と泥臭い現実が複雑に混ざり合った、昭和26年の夏の空気が伝わってきます。