一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日)
1953年9月16日
2025年3月27日
昭和28年当時、日本ではまだ戦後の食糧事情が完全には安定しておらず、米に関しても統制が続いていた。食糧管理制度のもとで米は政府が一括して買い上げ・配給を行っており、いわゆる「ヤミ米」の取り引きも根強く存在していた。担ぎ屋の中には、農村部で自家消費用や過剰に収穫した米を密かに持ち出し、都市部で高値で売りさばく者もいた。
特に都市では配給米だけでは足りず、品質や量を求めて市場や路上でヤミ米を購入する人も少なくなかった。これに対して当局は取り締まりを強化していたが、山間部の村々からリュックや風呂敷で米を背負ってくる担ぎ屋は後を絶たず、摘発される例も多かった。
女性の担ぎ屋が多く、電車やバスを使って長距離を移動し、東京や大阪などの大都市の市場近くでひそかに売ることもあった。また、米だけでなく、米と引き換えに都市で仕入れた衣料品や日用品を持ち帰るケースもあり、都市と農村をつなぐ流通の一端を担っていたといえる。
昭和28年は朝鮮戦争後の景気の反動で再び不況の兆しが見え始めており、そうした経済状況の中で担ぎ屋は生活の糧として機能していた。一方で政府は米の流通正常化とヤミ取引の撲滅を目指し、農家に対する買い上げ圧力や監視を強めていたため、担ぎ屋にとっては次第に活動しづらい時代へと移りつつあった。
そんな時代の一ノ関周辺の担ぎ屋事情。
やはり女性が多かったという。