国体聖炎旗リレーは水沢へ

昭和47年までは、国体の「大会旗リレー」が前年の開催地からその年の開催地まで行われていた。

岩波写真文庫183「日本 1955年10月8日」より

昭和30年の秋の国体は神奈川で行われる。
その前年の昭和29年の秋の国体は北海道で行われていた。

それで、国体旗が国道4号線を南下して神奈川を目指すことになったのである。

この頃、国体に関して問題になったことといえば、それまで(というか令和になった現在でも)各都道府県で持ち回り開催していた国体は、地方財政を圧迫するようなものであったようだ。

それで、前年昭和29年の11月に自治庁から日本体育協会に対し「持ち回り開催の中止要請」と行っていた。

そして、政府と体協幹部の協議で、昭和32年の静岡国体までは従来通り、それ以上は経費削減と国庫補助金の増額で、ということになったようである。

 


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