宮沢賢治が設計した花壇の設計図(昭和31年2月8日)
1956年2月8日
2021年12月23日
昭和31年2月8日の河北新報では、「宮沢賢治が設計した花壇の設計図が発見された」というニュースが報じられている。
そもそも、宮沢賢治は詩や小説を専業にしていたわけではなく、盛岡高等農業学校(現:岩手大学農学部)を卒業してからは花巻農学校(現:花巻農業高校)の教員や、東北砕石工場の技師を務めたりもしている。
そして無類の鉱物好きで「石コ賢さん」と綽名されるほどであった。
上述の河北新報の記事では「現在ではわずかに形をとどめているだけ」と書いているが、当時の花巻病院長によりその設計図が発見されたのだという。
なにぶんにも当ブログはWikipedia情報が頼りで、宮沢賢治が造園業にどこまで注力しており、どれだけの数の庭園をものしたのかは知り得ないのだが、そのようなニュースがあった、ということで。
該当の花壇かどうかは不明であるが、宮沢賢治の設計した花壇は、現在でも入ることができるようなので、ご興味の向きは以下のページを参考ありたい。