チリ地震津波(S35.5.24岩手東海新聞)

昭和35年5月24日に発生したチリ地震津波は日本国内での地震の揺れを伴わなかったため多くの人々にとって寝耳に水の出来事でした。ご提示いただいた岩手東海新聞の紙面は、まさにその混乱の渦中に発行されたものであり、不意打ちという言葉が当時の切迫した状況を雄弁に物語っています。

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三陸沿岸の各地で被害状況が分かれた背景には、過去の教訓を形にした防災設備の有無がありました。かつて昭和8年の三陸津波で壊滅的な打撃を受けた宮古市田老地区、当時の田老町は、巨大な防潮堤を建設していたことで浸水被害こそ受けたものの死者を0に抑えて町を守り抜きました。この防潮堤の勝利は、その後の日本の防災計画に極めて大きな影響を与えることとなります。

一方、釜石市や大槌町においても、隣接する大船渡市などに比べれば犠牲者の数は極めて少数に抑えられました。当時の詳細な記録によれば、大船渡市では湾の形状が波を増幅させたことや避難の遅れから53名の死者・行方不明者を出しましたが、釜石市と大槌町ではそれぞれ1名の犠牲者にとどまっています。この被害の差は、湾の入り口の地形や、地域ごとの避難行動の速さが生死を分けた結果と言えます。

この新聞記事が綴る、浸水した釜石市須賀町の線路を歩く人々の姿や、緊急市議会での混乱した議論の様子は、平穏な日常が17000km離れた地球の裏側からの波によって一瞬で奪われる現実を突きつけています。揺れを感じない津波という特異な災害に対し、当時の人々がどのように立ち向かい、そして田老のように事前の備えがどれほどの価値を発揮したのか、この1枚の紙面から読み取れる教訓は現代の私たちにとっても決して色あせることはありません。


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