岩手も無関係ではなかった第二室戸台風(S36.9.17岩手日報)

【回顧】昭和36年・第二室戸台風|岩手を襲った最大風速30.8メートルの衝撃

1961年(昭和36年)9月、日本列島を震撼させた「第二室戸台風」。近畿地方に甚大な被害をもたらしたことで知られるこの台風ですが、遠く離れた岩手県も決して無関係ではありませんでした。

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手元にある当時の「岩手日報」を開くと、そこには「強風のツメ跡を残して」という、自然の猛威を生々しく伝える見出しが躍っています。

■ 記録的な暴風、全市が闇に包まれる

当時の盛岡市では最大風速30.8メートルを記録。これは、立っていることさえ困難で、看板や瓦が凶器となって飛んでくるレベルの暴風です。

  • 「屋根が飛び各地で倒木」:公共施設や民家の屋根が次々と剥がされる。
  • 「三校の屋根が飛ぶ」:学び舎ですら風圧に耐えきれない。
  • 「千二百戸に避難命令」陸前高田をはじめ、沿岸部や河川周辺では緊迫した避難が続く。

停電も深刻で、記事には「ネオン消え全市ヤミと化す」とあり、文明の灯りが消えた夜の恐怖が伝わってきます。

■ 災害対策本部と自衛隊の待機

事態を重く見た岩手県は直ちに「災害対策本部」を設置。自衛隊も出動に備えて待機するなど、県内全域が戦時下のような緊張感に包まれました。北上川流域では「土のう千俵を緊急用意」するなど、水害への懸念も最大級に達していました。

交通網も麻痺し、東北本線の急行「十和田」などの幹線列車が運休。青函連絡船も11便が欠航し、人や物の流れが完全にストップしたことが記されています。

■ 時代を映す「広告」のコントラスト

緊迫したニュースの傍らにある当時の広告も、歴史の貴重な資料です。

ジャンル 当時の掲載内容
生活・家電 三菱ミシン、アトム手袋
乗り物 日産ブルーバード 従業員大募集
医療・健康 日本脳炎の啓発(「病原体はビールス」)

高度経済成長の真っ只中、人々の暮らしが豊かになろうとする一方で、自然の驚異に必死に立ち向かっていた様子が浮かび上がります。

過去の新聞をめくると、先代たちがどのような困難を乗り越えて今があるのかを実感します。「100年に一度」の災害は、決して他人事ではありません。この紙面を一つの教訓として、改めて日頃の備えを見直したいものです。


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