e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 大槌で宝塚少女歌劇団が公演!?(昭和36年7月25日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 宝塚少女歌劇が7月25日に大槌映画劇場で「実演」したらしい。 何組が来てどんな演目だったかはここでは書いていないが、こんな地方までドサ回りしないといけなかったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 釜石のうなぎ、大槌の映画案内(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 昭和36年の土用の丑の日である7月31日を控え、釜石市内のうなぎ屋も広告に余念がない。 また、大槌町内の映画館は7月26日から「処刑前夜」「旗本愚連隊」を上映するという。 オールナイトは「屋根」。 「処刑前夜」は昭和36年2月18日初公開の日活映画で… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石で運転免許の出張試験(昭和36年7月24日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 7月24日から、釜石市須賀の埋立地で、自動車運転免許の実技試験が行われた。 盛岡以外の出張試験は、盛岡に試験場ができてから無くなっていたというが、釜石市内の関係者の運動で7月と11月にやることになったのだという。 これで、盛岡で2泊しなくても済むと好評で、5… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 夏を謳歌する釜石(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏真っ盛りで、鵜住居中学校では野外炊事大会、小佐野中学校では水泳大会が行われていた。 また、根浜海岸でも人出で賑わっていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 オットセイ密漁事件で逮捕された大槌の漁船の機関士に釈放嘆願(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 大槌でオットセイ密漁事件で6人が逮捕されたうち、漁船の機関士を釈放してほしいと漁業関係者から釈放嘆願が上がっている。 これは、最盛期に入っているイカ釣り漁船の機関士であり、この機関士がいないと乗組員10名やその家族の生活圏が脅かされるからである。 大槌漁協の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 ご愛顧三十年、皆様の釜石信用金庫です(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石信用金庫はこの時点で創業して30年が経過しており、中心街の只越に本店があり、支店は製鉄所の社宅がある中妻、大船渡に行く途中にあり気仙郡ながら昭和30年に釜石市と合併された唐丹村に支店、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐの大渡町に出張所があったようである… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 東海道新幹線のレールは釜石製鉄所でも作っていた(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 昭和39年に開業が予定されている東海道新幹線のレールは、富士製鉄釜石製鉄所にも注文が来ていた。 そのための価格交渉が国鉄と行われており、国鉄側は国際価格並みを強く希望。 製鉄所側は材質の向上や型の切り替えもあり値上げ意向と食い違っていた。 国鉄側は、年内の7… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石・第一劇場で「眠れる森の美女」「最後の一人まで」公開(昭和36年7月24日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石・第一劇場では7月24日~28日まで「眠れる森の美女」と「最後の一人まで」を公開した。 「眠れる森の美女」(原題:Sleeping Beauty)はディズニーのアニメーション映画。 当時の表現を借りれば「ディズニイの長編漫画映画」であろうか。 日… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石・国際劇場で「サンダウナーズ」「大包囲作戦」公開(昭和36年7月24日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場では7月24~27日の間「サンダウナーズ」と「大包囲作戦」が上映された。 「サンダウナーズ」(原題:The Sundowners)は米ワーナー映画で日本での初公開は昭和36年2月28日。 「大包囲作戦」(原題:Steel Claw)もまた米ワー… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 大映スターが「幼馴染みというだけさ」のロケで釜石・大槌の映画館で挨拶(昭和36年7月24日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 釜石では上野に直通する急行「陸中」の運転開始の喜びも冷めやらず、今度は大映映画「幼馴染というだけさ」のロケ地が釜石・宮古であり、その出演者が7月24日に釜石市第一劇場で挨拶するということであった。 挨拶に来る演者は以下の通り。 藤巻潤 高松英郎 浜田ゆう子 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 大渡小学校で釜石で初めての集団登校(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡小学校の鈴子地区(釜石駅周辺)で。釜石で初めてとなる「集団登校」を始めることにしたという。 問題となっていたのは鈴子地区から釜石駅に行くのに必ず大渡橋を通らないといけないということであるが、これが釜石で一番交通量の多い場所であるということであった… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石のナイトスポット「BUVETTE車塔」(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 この時期、釜石市は製鉄所の全盛期で9万人の人口がいた。 夜はよほど賑わっていたのではないだろうか。 新街通に「BUVETTE車塔」というスナックバーがあったようで、それなりの大きさの写真広告を出している。 buvetteとはフランス語で「飲む」こと、… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 22日 1961 宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 岩手県沿岸地方の住民が待ち望んだ上野行の急行「陸中」号が運転を開始した。 22日の朝7:10に上野を出発した「みやぎの」号は仙台を12:52に出発、15:27に花巻で「陸中」を切り離す。 釜石線内では2両編成の「陸中」号は、釜石駅に17:13に到着した。 釜… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 22日 1961 釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製… 続きを読む
備考※1 6月 30日 1961 【参考】ポリオ禍 中日ニュースにて昭和36年6月30日公開。 岩手でも昭和35年頃ポリオは問題になりました。 https://www.youtube.com/watch?v=AK74Y4cj9b4 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 5日 1961 水沢一高の隻腕投手(昭和41年5月5日) 昭和41年5月5日の岩手東海新聞より。 釜石で行われた県選抜高校野球大会では、水沢一高から隻腕投手が出て活躍したという。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 29日 1961 「通学路のない学校」釜石・八雲小学校で(昭和36年4月29日) 昭和36年4月29日の岩手東海新聞より。 釜石の八雲小学校は「通学路のない学校」と言われていた。 雨が降ると学校の裏の下水があふれだし、学校の前に汚水があふれるという非常に不衛生な状態となっていた。 そこで、八雲小学校の父兄が通学路となる道に土俵を並べて通学路とすることにした。 釜石市でも中妻地区の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 28日 1961 釜石でバスが半日スト(昭和36年4月28日) 昭和36年4月28日の岩手東海新聞より。 春闘では県南・東部バス労組は3000円のべアを要求していたが、会社側の回答は1500円。 これに対し組合は釜石営業所でストを行うことにした。 これに呼応し、釜石製鉄所・釜石市役所・全逓の組合員も応援に駆け付け一緒に座り込みをした。 今でこそ岩手県交通の釜石営… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 27日 1961 釜石・第一劇場で「悲しき60才」「東京の夜は泣いている」「銭形平次捕物控 夜のえんま帳」(昭和36年4月27日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 釜石の第一劇場では「悲しき60才」「東京の夜は泣いている」「銭形平次捕物控 夜のえんま帳」を公開する。 「悲しき60才」は昭和36年4月5日初公開の大映映画で、主演は坂本九。 「東京の夜は泣いている」は昭和36年3月22日初公開の新東宝映画で、主演は松尾和子… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 27日 1961 釜石・シネマセンターで「背広三四郎 花の一本背負い」「無鉄砲大将」公開(昭和36年4月27日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 釜石のシネマセンターでは、4月27日~5月2日に「背広三四郎 花の一本背負い」「無鉄砲大将」を公開する。 「背広三四郎 花の一本背負い」は昭和36年3月12日初公開の東宝映画で、出演は船戸順、白川由美、佐原健二など。 「無鉄砲大将」は昭和36年4月16日初公… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 27日 1961 声に出して読みたい「シンーガーミシン」(昭和36年4月27日) 昭和36年4月27日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内でシンガーミシンを扱っているのは2店あった。 ちなみにシンガーミシン自体は現在でも盛業中。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 26日 1961 釜石・錦館で「別れて生きるときも」「夕日に赤い俺の顔」「明日に向かって突走れ」公開(昭和36年4月26日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 釜石の大渡3丁目で「東北最大の映画館」と言われた錦館では「別れて生きるときも」「夕日に赤い俺の顔」「明日に向かって突走れ」を3本立てで公開する。 「別れて生きるときも」は昭和36年4月4日の東宝映画で、司葉子や高島忠夫が出演。 「夕陽に俺の赤い顔」は昭和36… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 26日 1961 宮古で消防団のポンプ車が出動したが、酔っ払い運転で横転し5人負傷(昭和36年4月26日) 昭和36年4月26日の岩手東海新聞より。 この4月26日に日付が変わった0:50頃のこと。 宮古の鍬ケ崎で火事が発生した。 そこで、消防団のポンプ車が出動することになったが、なにしろ深夜なので消防団員は既に晩酌で酔って寝ている。 心地よい眠りを起こされて出動させられたのだ。 酔っ払い運転にはなるが、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 25日 1961 釜石タクシーの電話番号は「一番早い」(昭和36年4月25日) 昭和36年4月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石タクシーの広告が出ており、電話番号は「一番早い」で1881番。 電話がまだ自動通話ではなかったこの頃、電話番号が4桁だったのは盛岡と釜石ぐらいのものだったようである。 当時の釜石は人口が9万人ぐらいいた。 この釜石タクシーは現在でも… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 25日 1961 全逓労組釜石支部「別に電話の自動即時通話化に反対してる訳じゃありません」(昭和36年4月25日) 昭和36年4月25日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局では大槌などの近郷の各局とのダイヤル自動通話化が計画されていたようである。 そうなれば利用客は便利になるかも知れないが、電話交換嬢は要らなくなるということになる。 その「電話交換嬢が失業する」という観点から、全逓釜石支部が反対している・・・とい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 24日 1961 釜石市内でカメラ紛失しました。姓名在社(昭和36年4月24日) 昭和36年4月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の誰かがカメラを2台紛失したらしい。 1台目のオリンパスペンは大町2丁目~釜石駅でタクシーに乗っている時に忘れたもの。 2代目のマミヤ16mmは五ノ橋(釜石駅から中妻方面に行くときの橋)~堀内医院の間の社線の傍で落としたもの。 写真が趣味では… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 23日 1961 釜石市役所女子職員殺害事件(昭和36年4月23日) 当時の釜石について 昭和12年、盛岡市に次いで2番目に市制した釜石市は、昭和35年の国勢調査では人口87,511人。 人口も盛岡に次いで2番目で、釜石の絶頂期といってもいい時代であった。 釜石は港町でもあり製鉄所の町であり、常に流れ者が多く県内でも治安の良い場所とは言えなかった。 ことに大町や只越と… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 21日 1961 釜石市中心部で若い女性が襲われる(昭和36年4月21日) 昭和36年4月29日の岩手東海新聞より。 4月23日に発生した市役所女子職員殺害事件は解決の見通しが立っていなかった。 この事件発生の2日前である4月21日には、その現場から20メートルしか離れていない只越町3丁目の日冷倉庫前で婦女暴行事件が発生していた。 その日冷倉庫の酒蔵「浜千鳥」の支配人は夜2… 続きを読む