豊作で235万トンの米余り(S43.10.31)
1968年10月31日
2025年11月2日
昭和43年度は、戦時中から続く食糧管理制度(米の政府買い上げ制度)に大きな見直しが加えられた歴史的な年であった。連続豊作と米消費の減少によって、政府の抱える余剰米は急増し、食管会計の赤字が拡大。これにより政府・自民党・財政当局から制度改正論が急速に高まった。
大蔵省は、米価が「生産者価格>消費者価格」という逆ざや構造にあることを問題視し、価格算定方式の見直しを提案。これを受けて農林省の西村農相は、**米中心の農政から脱却して、米・畜産・果樹・野菜などをバランスよく生産する「総合農政」**への転換を打ち出した。
つまり「米の全量買い上げ保証」を弱め、品質重視・良質米生産や転作(飼料作物や果樹への作付け転換)を進める方向が示された。
しかし、これらの改革は東北・岩手のような米どころに深刻な影響を与えた。特に岩手県北では、冷害に強く多収な早生種が主流で、全国基準の「うまい米づくり」路線に合わず、**「米価が下がってもいいから全量買い上げを続けてほしい」**という声が強まった。
県は当初「50万トン達成運動」を継続すると強気だったが、次第に「良質米の増産に限って続ける」と方針を後退。結果として県北農家は置き去りにされ、転作にも消極的で、政府が期待した転換面積(145町)に対して、実際はわずか28町しか応募がなかった。