東北新幹線盛岡以北が八戸ルートに決定(S48.10.17)

東北新幹線は昭和52年春の開業を目指して建設が進められていたが、政府の総需要抑制策や埼玉県大宮市以南の住民の反対により、開業が1年延期される可能性が高まっていた。国鉄の藤井総裁は、大宮以南の住民が早期に同意すれば昭和52年開業も可能と述べたが、住民側は高架方式に強く反対し、国鉄に計画の白紙撤回を求めていた。

一方、盛岡以北のルートについては、昭和48年10月17日、八戸回りが正式に決定した。八戸回りは、弘前回りに比べて鉄道延長が短く、雪害区間も少なく、建設費も400億円削減できるなどの利点があった。沿線人口や都市の発展性の観点でも、八戸ルートの方が優位とされ、新幹線と在来線の輸送体系の効率性も考慮された。

盛岡以北の工事計画では、青森県側が独立した工事機関の設置を求める声を上げていたが、国鉄は費用や環境規制の問題を考慮し、最終計画決定後に対応するとした。用地買収は順調に進んでおり、盛岡駅以南の一部を除き、大部分が確保されていた。

また、盛岡以北の停車駅については、青森や八戸のほか、八甲田山麓や上北郡などに中間駅を設置する案が検討され、二戸地区も候補として有力視されていた。工事着工の時期は政府の経済政策に左右される可能性があり、地価高騰の懸念も指摘されていた。


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