消費者米価が平均19%アップ(S50.9.1)

昭和50年度の岩手県を振り返ると、「狂乱物価」の余韻が色濃く生活にのしかかっていたことが、当時の記事からよくわかる。石油危機後の全国的な物価高騰はようやく沈静化しつつあったとはいえ、県民にとっては依然として厳しい時代。米価、乳製品、酒類、燃料など、日々の暮らしに直結するものが次々と値上げされ、家計を直撃した。

特に大きかったのは、昭和50年9月1日に実施された消費者米価の平均19%アップだ。食堂やレストランではメニューの書き換えが相次ぎ、酒やタバコの値上げはサラリーマンの懐を痛めつけた。牛乳の値上げは、子どもや高齢者のいる家庭にとって深刻だったという。全国的には県庁所在地の物価指数が一桁上昇に落ち着く地域が増える中、盛岡市は依然として二桁の上昇率。全国最高水準の伸びを示す場面もあった。

物価高は、当然ながら消費行動にも影響した。買い控えが定着し、県内の中小企業では生産や出荷が滞り、売れ行き不振から資金繰りに行き詰まる企業が続出した。企業倒産は前年度より減ったとはいえ依然として高水準で、まさに長期不況の真っただ中である。

東京商工リサーチ盛岡支店がまとめた昭和50年度(50年4月〜51年3月)の県内の倒産企業は、負債1,000万円以上のものだけで53社。総負債額は69億7,750万円に達した。49年度より件数・負債額とも減少したものの、倒産水準は依然として深刻だった。

倒産した企業の約半数を建設業が占めていた。当時はインフレ抑制のための総需要抑制策の影響で、国や自治体の公共事業が伸び悩み、公共工事に依存していた建設業は大打撃を受けた。次いで多かったのは運送業。県内全体で生産が低迷したため、運ぶ荷物そのものが減ったという。水産加工、建材販売、雑貨、飲食店、さらには呉服や印刷、自動車整備まで、業種を問わず幅広く倒産が発生し、県内経済の苦境を象徴するかのようだった。

負債額が大きかったのは、盛岡市内の建設会社(約17億円)を筆頭に、大船渡市の水産加工会社(約8億5千万円)、久慈市の製材組合(約6億円)など。計画倒産が疑われた例もあり、盛岡市内の土地取引業者や花巻市の鉄骨業者が短期間で巨額の負債を出して倒産したケースも報告されている。

信用調査会社の担当者によれば、「本県は金融機関の“面倒見の良さ”があり、これでも倒産が少ない方」とのことだったが、それでも中小企業が主力の岩手では、記録に残らないような小規模な倒産がその裏側に数多くあったと考えられている。

昭和50年度――狂乱物価の爪痕が生活者にも企業にも深く残った一年。値上げの連続と買い控えの悪循環が、地域経済をじわじわと締め付けていた時代の息遣いが、この記事からは鮮明に伝わってくる。


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です