昭和59年の作況指数は「109」で史上最高の豊作(S59.12.21)
昭和59年12月21日、東北農政局岩手統計情報事務所は、同年の県内水稲の作況指数が109となり、昭和53年と並ぶ史上最高の豊作となったことを発表しました。この年の稲作は、前年までの連続した冷害に苦しめられてきた農家にとって、久々にずっしりと重い収穫の喜びを味わわせるものとなりました。当時の社会情勢は、他用途利用米の導入や臭素米問題、さらには逼迫した米需給を背景とした韓国産米の輸入など、国民の主食である米をめぐる動きが慌ただしく大きく揺れた一年でもありました。
この歴史的な記録を支えた気象経過を振り返ると、決して平坦な道のりではありませんでした。播種期から育苗期にかけては、厳寒と多雪による大幅な雪解けの遅れ、異常低温や日照不足に見舞われました。播種期は全般に遅れ、県平均の最盛期は4月17日と平年より2日遅くなりました。育苗期間も不順な天候が続いたため、苗の生育は芳しくなく、短苗や軟弱な苗が目立ち、田植え期も残雪などの影響で本田準備が遅れるといった不安なスタートでした。
しかし、6月以降の気象がこの状況を劇的に変えました。6月からは好天に恵まれ、特に梅雨明け後は連続して高温、多照、そして上陸台風ゼロという極めて異例な好条件が重なりました。これにより水稲の生育は一気に促進され、出穂期や成熟期も大幅に早まるという特異な現象下で史上最高の単収を記録することとなりました。
詳細な生育過程をみると、遅れていた田植え作業は5月19日頃に最盛期を迎え、平年より5日ほど遅れましたが、田植え後半からは高温と多照の好天となりました。これにより地温と水温が上昇し、植え傷みが少なく根張りも極めて良好になりました。分げつ期間は日照が少なめながらも、高温により草丈の伸長や分げつの発生はおう盛となり、長草型で多株な生育相となりました。7月上旬から中旬にかけては前線の停滞による本格的な梅雨で最高気温が低く、最低気温の高い雨天の日が続きましたが、平年より6日早い梅雨明け後は高温と多照が続きました。
この好天により幼穂伸長は急速に進み、減数分裂期も安定した気象で経過しました。出穂は各地帯とも6日から12日も早まり、県平均の出穂最盛期は8月7日となりました。穂数は梅雨時期の天候不順により有効茎歩合こそ低下したものの、発生茎数が多かったため平年並みに確保されました。一穂当たりのモミ数も、幼穂伸長期が高温・多照で平年並みとなったことに加え、出穂前の稲体の充実に適した気象が続いたことで受精も順調に進み、稔実歩合は高くなりました。
8月末から9月上旬にかけては一時的に停滞前線の影響で降雨の日が多くなりましたが、登熟後期は安定した気象に恵まれました。特に日照時間が多かったことで稲体の活力が維持され、穂の下部の弱勢モミまで玄米化が促進されました。粒の肥大と充実も良好で、クズ米の発生も極めて少なかったことから、千モミ当たり収量は11%と大幅に高まりました。
この結果、作況指数は8月時点の103から、9月の106、10月の109へと豊作型の典型的な推移をたどり、最終的な確定収穫量は43万8700トンに達しました。これは前年の58年より4万7千トンも上回る数字です。10a当たりの平均収量は540kgとなり、最近の指数では昭和45年の113、53年の112に次ぐ確定値となりましたが、平均収量では53年と並ぶ史上最高を記録しました。
地域別にみても、山間地帯での作柄上昇が大きく、品種間や水田ごとの地域間格差が目立たなかったこともこの年の特徴です。作況指数は米どころの北上川下流で108となったほか、北上川上流、東南部、下閉伊、北部とも111となりました。収穫量43万8700トンに対し、昭和60年3月末現在の米穀検査成績では一等米比率が71.3%に達しており、まさに質・量ともに岩手の農業史に燦然と輝く豊作の記録となりました。
