湯沢団地に中核派の爆弾工場が(S61.10.12)
1986年10月12日
2025年2月11日
昭和61年10月12日、岩手県警と警視庁公安部は、紫波郡都南村湯沢団地にある中核派革命軍の爆弾製造アジトを摘発し、5人の活動家を逮捕した。現場からは圧力釜爆弾や黒色火薬をはじめとする大量の爆弾原材料、組織の計画を記したメモ類などが押収された。全国で初めて過激派の爆弾製造アジトが摘発され、県民に大きな衝撃を与えた。
この摘発の発端は、10月11日に宮城県警が仙台空港付近で不審な小型トラックを発見し、職務質問を行ったところ、火薬の詰まった爆弾を発見したことによる。その後、岩手県警が湯沢団地で目撃していた不審車両と一致したため、アジトの突き止めにつながった。
押収された爆弾は改造された圧力釜に黒色火薬と手製の鉛玉を詰め、起爆装置をセットするだけで使用可能な状態だった。爆発すれば50人以上を殺傷する威力があり、成田空港二期工事反対闘争で警察部隊への攻撃に使用される計画だったとみられる。
メンバーは8月から湯沢団地に潜伏し、夫婦を装って民家を借りるなどして目立たない生活を送っていた。リーダー格は爆弾製造を担当し、他のメンバーと共に秘密裏に活動していた。
公安当局によると、中核派革命軍は100~200人規模で、調査部門、製造部門、実行部門、物資調達部門に分かれており、今回摘発されたのは製造部門とみられる。東北地方に別の貯蔵アジトがある可能性も指摘されたが、特定には至らなかった。
この事件は、首都圏の警戒を逃れて地方に潜伏する過激派の実態を浮き彫りにし、岩手県にも犯罪の広域化が進んでいることを示した。県警と公安当局は今後の捜査体制強化の必要性を改めて認識する結果となった。