東北新幹線が大宮暫定開業に決定(55.12.24)
1980年12月24日
2025年4月26日
東北新幹線の盛岡〜東京間の全線開通はさらに遅れ、当面は盛岡〜大宮間のみの「暫定開業」となり、昭和57年春を目標とする方針が、昭和55年12月24日に正式決定した。しかし県民の期待を裏切る形となり、開業遅延に強い不満が噴出した。盛岡駅前の再開発やホテル建設など、多くの公共・民間計画も開業見込みのズレで影響を受けた。暫定開業後は、大宮〜上野間を専用急行電車で結び、さらに上野〜東京間の延伸は昭和59年秋、東京駅までの直通は昭和61年を目標とされたが、地元からは「一気に東京まで開通を」と強い要望が出た。さらに、新潟方面の上越新幹線工事の遅れから、昭和57年春の暫定開業自体にも不安が生じ、東北と上越の分離開業も検討される状況になった。こうした混乱の中、昭和56年には東北新幹線200系車両が一関〜盛岡間で試験走行を開始し、県内の期待は高まったが、一方で盛岡以北の建設(盛岡〜青森間)は財政難で凍結されたままとなり、建設再開を巡る議論も続いた。