一面は広告欄(S4.9.6岩手日報)
昭和4年9月6日の『岩手日報』一面を開くと、目に飛び込んでくるのは新聞記事ではなく、所狭しと並ぶ地元企業の広告の数々である。見出しも記事本文もなく、紙面全体が広告に費やされている。
とりわけ目立つのは、「松屋百貨店」の創業二周年記念感謝大売出しの広告だ。丸に「松」の紋を大きく掲げ、扇風機や下駄、時計、和服、万年筆、赤ちゃん用の汗取りなど、生活に必要なあらゆる品を取りそろえている。
酒類の広告も目を引く。「大黒葡萄酒」は「節約は国産の使用をモットーとして」との文言を掲げ、国産品愛用を訴えている。外国産ワインに代わる日本製葡萄酒として、家庭の晩酌文化に訴求していたようだ。また、「寳焼酎」の広告には杯を手にした人物の挿絵とともに「おしきせ一杯」と洒落た一文が添えられ、長く愛される銘柄の片鱗をうかがわせる。
生活に密着した品々の広告も多い。「ナビ唯生初別鑑」は右書きで「鑑別初生雌ビナ」を販売する旨の広告であり、養鶏業者向けに雌のヒナを選別して提供していたことがわかる。農業・畜産系の読者層を意識したものだろう。
医薬品の分野では、「慢性胃腸炎に デブース氏錠」と銘打った広告が掲載されている。欧風の名前を冠したこの薬品には、当時流行していた“外国の権威”による効能の裏付けが感じられる。ほかにも、性病(リン病)に対する薬の広告など、健康や衛生に対する人々の関心を反映した内容が見られる。
育児用品としては、「アセノコ」というベビーパウダーの広告が目を引く。「赤児の汗とあせもに」と効能が謳われており、花を持った赤ん坊の挿絵とともに、清潔で優しい育児への願いが込められている。
このように、昭和初期の『岩手日報』では、日によっては一面すべてが広告で構成されることもあり、ニュース記事がまったく載っていないという紙面も存在した。しかし、これは全国的に一般的な形式というわけではない。たとえば同時期の東京朝日新聞や読売新聞などの全国紙では、通常は一面に重大な政治・経済のニュースが配置されており、広告はページ下部などに限られていた。地方紙、とくにこの日のように特集性のある号では、広告主体の構成がときに見られた、というのが正確な理解である。
とはいえ、そこに掲載された広告の一つひとつが、当時の地元経済、生活文化、家庭の関心を色濃く反映しており、広告面こそが庶民の暮らしの記録帳であったこともまた事実である。昭和初期の岩手を知るうえで、これほど生々しく多様な資料はないのかもしれない。