岩手郡寺田村の強盗傷人事件(S13.12.20)

昭和13年、岩手県岩手郡寺田村第四地割に住む当時22歳の青年は、貧農の次男として大正10年頃に生まれた。彼は両親のもとで尋常小学校を卒業後、製炭夫や日雇い労働者として働いていた。昭和11年11月、親戚から兄と共に融資を受け木炭製造を始めたが、翌年5月に兄が日中戦争で応召し出征。青年は一人で木炭製造を続けたが、経験不足で事業は思うようにいかず、さらに兄が神経衰弱を患い同年7月に除隊して帰郷したことで、経済的困難がさらに増した。

兄が精神的に苦しむ理由を無学にあると知った青年は、徴兵検査に合格し翌年1月に入営予定だったこともあり、勉学に励むようになった。しかし、隣村の平舘村にある飲み屋に出入りし、20歳の女性と親密な関係になるなど、不良仲間との交際が始まり、遊興費が増大。製炭資金を貸していた親戚からの支援も冷淡で、木炭を焼失するトラブルが発生し、経済的に追い詰められた。

10月23日深夜1時ごろ、青年は遊興費や入営準備費を調達するため、かつて働いていた寺田村八地割に住む58歳の雑貨商宅に侵入。現金80円と腕時計を盗んだが、それでは十分ではなく、11月13日深夜1時ごろ再び侵入。手提げ金庫を盗み出すが中に現金がなかったため金庫を捨てた。

入隊が迫る中、焦燥感を募らせた青年は、12月20日深夜1時ごろ、三度雑貨商宅を襲撃する決意を固めた。寺田村八地割の雑貨商宅に侵入した彼は、風呂場で覆面を用意し、薪割りで扉を破壊しながら進んだ。物音に気付いた56歳の雑貨商の妻が声を上げたため、青年は斧の背で彼女の頭部を殴打。さらに雑貨商本人が目を覚ますと、彼をも襲い、重傷を負わせた後、枕元にあった現金10円を奪い逃走した。

襲撃された夫婦は意識不明となったが、妻が早朝4時ごろに意識を取り戻し、隣家に助けを求めた。5時ごろには寺田巡査駐在所に通報が行われた。警察は非常召集をかけ捜査を開始したが、現場保存が不十分で、足跡などの証拠が野次馬に踏み荒らされるなど捜査は難航した。

一方、盗まれた腕時計の流通経路や、青年が親密だった平舘村の女性が所持していた封筒の筆跡が現場遺留品と一致したことが決め手となり、容疑が固まった。青年はその後、樺太落合町に出稼ぎに出ていたが、警察が樺太庁に要請し逮捕。岩手に移送された彼は取り調べで犯行を自供。昭和15年4月、盛岡地方裁判所で懲役15年の判決を受けたが、控訴しても同年7月に棄却され、刑が確定した。


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