盛岡・義妹一家鏖殺事件(S40.4.21)

昭和40年4月21日、岩手県盛岡市下厨川の開拓地で、農業を営む一家が襲撃される事件が発生しました。午後8時30分頃、加害者である夫の兄が、弟夫婦の家を訪れました。この家は、戦後の払い下げ地で建てられた木造二階建ての住宅兼牛舎で、弟は家畜商として成功し、裕福な生活を送っていました。

加害者は金銭的困窮の中、弟から借金を申し入れようとしましたが、弟はその時不在で、家には妻と三人の子どもだけでした。加害者は妻と炬燵に入り雑談を始めましたが、妻の冷たい態度や侮蔑的な言葉に激高。台所で清酒を飲んだ後、怒りに任せて近くにあった火ばしで妻の顔を殴り、その場で暴行を開始しました。

妻は最初の攻撃を受けた後も抵抗を試みましたが、加害者は木割りを使用して頭部を複数回殴打し、さらに農具のホークを持ち出して臀部や大腿部などを突き刺し、最終的には頭部を集中して攻撃しました。妻が絶命したと確信する前に、加害者は二階にいた子どもたちの存在を思い出し、事件を目撃されることを恐れて二階に向かいました。

子どもたちはすでに就寝しており、それぞれ布団に入っていましたが、加害者は木割りを持って頭部を次々と殴打。長女と長男は即死し、次男も頭部を強打され重傷を負いましたが、辛うじて一命を取り留めました。階下に戻ると、妻がまだ弱々しく声を出していることに気付き、加害者は再び木割りで頭部を殴打し、完全に息の根を止めました。

その後、加害者は弟が隠し持っているはずの金を探そうと二階に上がり、タンスの引き出しをすべて調べましたが、現金は見つかりませんでした。怒りと憎悪から、階下で妻の遺体を辱める行為に及びました。着衣を脱がせて下半身を露出させ、近くにあった火ばしを陰部に突き刺しました。現場で清酒を飲み干した後、加害者は血の付いた自分の衣類を弟の衣類に着替え、証拠隠滅を図りました。

翌日、加害者は早朝に盛岡駅へ歩いて向かい、待合室で夜を明かした後、列車で岩手郡葛巻町に向かいました。その道中、自分の衣類を風呂敷に包み、途中の山中に捨てて証拠を隠しました。帰宅後も平静を装いましたが、警察の捜査により、現場に残された指紋や血痕が決定的な証拠となり、加害者は逮捕されました。

取調べの中で加害者は当初犯行を否認しましたが、指紋の一致や血液反応の証拠が示されると徐々に自供に至りました。事件の背景には、加害者が生活に困窮していたこと、弟夫婦の成功を妬んでいたこと、そして妻からの軽蔑的な態度が積み重なっていたことがありました。

裁判では、妻と子どもたちを襲撃した犯行の残虐性が指摘されました。第一審では死刑が宣告されましたが、控訴審で無期懲役に減刑され、最終的に最高裁判所で無期懲役が確定しました。


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