ラグビー新日鉄釜石がV4(S57.1.15)

昭和57年1月、新日鉄釜石ラグビー部は明治大学を30–14で破り、日本選手権4連覇(通算5度目の日本一)を達成した。試合は明大FWの突進に苦しめられながらも、松尾雄治のインターセプトからの独走トライで流れを取り戻し、後半に突き放して勝利した。

新日鉄釜石はこれまで学生王者を次々撃破してきた強豪で、前年に監督が小藪修から森重隆へ交代し、レギュラーも数名抜けるなど“再出発の年”でもあった。加えてソ連遠征で主力が負傷し、国体でも敗れるなど不安材料もあったが、全国社会人大会では負傷者の復帰と代役の奮闘で復調。三菱自工京都、近鉄、九州電力、トヨタ自工を次々破り、社会人4連覇(通算6度目)を達成した。

強さの源は松尾を中心とした走るバックス、洞口・千田・瀬川らFWのパワー、そして無名選手を徹底的に鍛えて一流に育てる伝統の指導力と団結力にあるという。県民はその努力の歴史を知るがゆえに深く支持している。

しかし、V4の余韻が残る2月、名センター「ヒゲの森」こと森重隆監督が家業継承のため電撃引退。後任は松尾雄治となり、新体制でV5に向けて再び歩みを始める。北国の厳しい環境で働きながら練習を続ける“雑草”のような選手たちに、県民の期待はますます高まっていた。


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