大槌町金沢で乳牛の品評会(S36.10.2岩手東海新聞)

昭和36年10月2日付の岩手東海新聞は、大槌町金沢地区で開かれた家畜共進会(牛の品評会)の様子を伝えている。

Screenshot

会場となったのは、地区の小学校校庭。金沢地区では実に4年ぶりの開催だったという。現在は大槌町の一部となっているが、この金沢地区は昭和30年まで上閉伊郡金沢村として独立した村であり、三陸沿岸では珍しい酪農地帯として知られてきた地域である。

この品評会を主催したのは金沢農協。後援には大槌農協のほか、釜石乳業、明治乳業といった乳業関係者が名を連ねている。沿岸部の農村でありながら、酪農と乳業が地域産業としてしっかり結びついていたことがわかる。

参加した牛は65頭。審査項目は、発育状態や健康状態、乳量などで、見た目の良さだけでなく、実際の酪農経営に直結する能力が重視された。記事の見出しにある「家畜飼育管理品評会」という言葉が示す通り、単なる“牛の品評”ではなく、日頃の飼育管理そのものが評価対象だったのである。

校庭に並ぶ牛と、それを取り囲む人々の写真からは、農家にとってこの品評会が大きな節目であり、また誇りをかけた場であったことが伝わってくる。沿岸部では漁業が主産業となりがちな中で、金沢地区が「牛の村」として存在感を示す機会でもあったのだろう。

ここで少し背景に触れておくと、この金沢地区は戦前、昭和9年の大凶作の際に「日本一の貧村」と全国紙に報じられたほど困窮した歴史を持っている。戦後、岩手殖産銀行からの借り入れで乳牛を導入し、酪農に力を入れることで再建を図ってきた経緯がある。昭和27年時点でも生活は決して楽ではなく、将来への不安が語られていた。(S27.9.18岩手日報より

そうした模索の時代を経て、昭和36年には65頭もの牛が集まり、飼育管理や乳量を競う品評会が開かれるまでになった。この記事が淡々と事実を伝えている一方で、その背後には、地域が長い時間をかけて積み上げてきた酪農への取り組みがある。

昭和36年の金沢地区の家畜共進会は、単なる年中行事ではなく、かつての苦境を知る人々にとっては「ここまで来た」という実感を伴う出来事だったのではないだろうか。


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です