県が政府に天災融資法申請(S54.10.20)

昭和54年、岩手を襲った「災害の年」
――雹・豪雨・台風が連続、県は天災融資法の発動を政府に申請

昭和54年(1979年)は、岩手県にとって戦後屈指の「災害の年」として記憶される一年となった。2月から10月にかけて、強風、高潮、雹、集中豪雨、そして台風が相次いで県内を襲い、県消防防災課の集計による被害総額は約292億7千万円。これは、アイオン台風に見舞われた昭和23年以来ともいわれる深刻な水準であった。

年初から続いた強風と高潮被害

年明け早々の2月11日から12日にかけ、寒冷前線の通過に伴う強風が県内を吹き荒れた。盛岡市では瞬間最大風速31.6メートルを記録し、倒木が東北本線の架線を切断。列車22本が最大4時間半の遅れを出すなど、交通にも大きな影響が及んだ。花巻市、北上市では停電が発生し、約2,000戸が一時送電停止となった。

続く2月24日から25日には、低気圧の東進により沿岸部で強風と高潮が発生。収穫期に入ったばかりのワカメを中心に、ノリ、カキ、ホタテなど養殖物が壊滅的な被害を受け、被害額は約18億円に達した。田野畑村では漁港関連道路が流失するなど、被害は海上施設にとどまらなかった。

春先の暴風と農業被害

3月末には、台風並みに発達した低気圧が本県を直撃。花巻市で瞬間最大風速39メートルを記録し、住宅の全壊72戸、半壊304戸、破損1,485戸という甚大な被害が発生した。学校施設の被害も大きく、釜石市の大渡小学校は使用不能となり、後に新築されている。

農業分野では、5月26日に県北地方を中心として雹混じりの集中豪雨が発生。レタスやニンジン、葉タバコなど高原野菜が壊滅的な被害を受け、被害額は約5,500万円に及んだ。さらに7月8日にも再び雹害が発生し、葉タバコや水稲、ホップなどに約1億円規模の損害が出ている。

夏の集中豪雨、秋の連続台風

8月上旬には「豪雨前線」の停滞により、県内各地で100ミリを超える雨量を記録。床上・床下浸水は合わせて1,600戸以上、河川決壊や道路損壊が相次ぎ、被害総額は約110億円に達した。地盤がすでに飽和状態だったことが、被害拡大に拍車をかけた。

10月に入ると、台風16号が県内を直撃。農作物、とくに果樹や水稲への影響が大きく、倒伏や穂発芽による品質低下が深刻化した。被害額は水稲だけで約2億8千万円に及んだ。さらに下旬の台風20号は、死者1人、住宅被害や漁港施設被害を含む甚大な爪痕を残し、県全体にわたって被害が拡大した。

天災融資法申請へ

こうした相次ぐ災害を受け、県は8月の集中豪雨に続き、10月の台風被害後も政府に対して天災融資法の発動を要請。一年間で二度も百億円規模の風雨災害が発生するという、近年に例を見ない厳しい自然条件の年であったことがうかがえる。

昭和54年は、自然災害の恐ろしさとともに、農業・漁業・インフラが地域社会にとっていかに重要であるかを改めて突きつけた一年でもあった。こうした記録は、将来の防災や減災を考える上で、今なお重い意味を持っている。


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